佐伯 彩 Saeki Aya [博士(文学)]
総合科学教育科 助教
専門分野
- 近代中東欧史Modern History of Central Eastern Europe
- ハプスブルク帝国史History of Habsburg Monarchy
- ネイション・ナショナリズム研究Nation and Nationalism Study
- 近代中東欧史Modern History of Central Eastern Europe
写真
研究課題
- フランツ・ヨーゼフ1世のガリツィア巡幸に関する研究
A Study on Franz Joseph 1th to Galicia in 19th Century - 近代ハプスブルク帝国議会におけるポーランド人議員の活動に関する研究
A Study on Polish Assembly Member in Habsburg Parliament
研究シーズ
19世紀後半の「ガリツィア」について研究しています。ここで、「ガリツィア」という聞きなれない言葉に一瞬混乱するかもしれません。「ガリツィア」とは、1772年~1795年にかけて3度にわたって行われたポーランド分割においてオーストリア(=ハプスブルク)領となった地域で、現在のポーランド東南部からウクライナ西部を指します。現在はそのほとんどがウクライナ領に属していますが、かつては、ポーランド人・ウクライナ人・アルメニア系住民・ユダヤ系住民などさまざまな民族・宗教が混在する多元的世界を形成していました。この地域について興味深いのは、20世紀~21世紀にかけて、4度も支配国家がわかるという稀有な経験を持つ地域であるということです。そのため、近年、東南欧世界とは、異なる多民族社会を形成していたとして、注目が集まっています。
留学以前からこの地域について研究を進めていたのですが、留学時代のポーランド人との交流から、ポーランド人とガリツィアとの歴史的な関係に興味を持つようになりました。ポーランド王国崩壊後も、ガリツィアではポーランド人貴族たちが政治的優位性を誇り、1867年のオーストリア=ハンガリー帝国成立後は、彼ら主導で自治が行われました。ポーランド人議員がどのようにガリツィアの運営しつつ、オーストリアと政治的連帯を強めていったのかについて研究しています。
そして、現在の研究テーマは、上記の研究を基盤として、この時期にオーストリア、ひいてはハプスブルク帝国に属していたほかの領域(領邦)とどのような政治的コネクションを形成していたのかです。
研究のキーワード
近代東欧史,ハプスブルク帝国史,ネイション研究