2022年度全国大会

大会名称 本田宗一郎杯Hondaエコ マイレッジ チャレンジ 2022 第41回全国大会
日時 2022年10月1日、2日
場所 栃木県茂木町 モビリティリゾートもてぎ スーパースピードウエイ
NP号Ⅳ 記録 1495.234km/L
順位 グループⅢ(大学・短大・高専・専門学校生クラス) エントリー47台中1位 入賞
RS号 記録 整備の手が回らず未出走
順位  

2021年度は平日の活動が1時間15分に制限されていましたが、コロナ感染者が減少してきたことから、12月に入って2時間の活動が認められるようになりました。こうした中で、いったんオーバーホールしたら、いつまともに回せるようになるのかわからないという過去最悪の整備力にまで低下していたエンジン部門も、2年生部員2名の奮闘により、少し明るい兆しが見えつつありました。ところが12月中旬を過ぎると、空燃比制御システムにトラブルが発生し始めて、その原因を追究すべく連日のように各部の点検と実験を繰り返さざるを得なくなりました。

そうした中、1月に入ると、オミクロン株によって感染者が激増するようになりました。全国での新規感染者数が過去最大に達した1月18日には、再び部活動禁止が発令されました。その上、対面授業は1月28日までで打ち切りとなり、それ以降はオンライン授業に切り替えられることになり、当然のことながら部活動も禁止となりました。

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2022年1月14日になって、主催者から大会スケジュールが公表された。期日は何と11月26日、27日。大会開催が危ぶまれていたので、実施して下さることはありがたかったが、我が部の短くはない参戦史を振り返ってみても、2008年度の10月18日、19日が最も遅い時期の開催だった(2021年度は10月23日に予定されていたがコロナ禍のため中止)。

どんな理由で開催時期が大幅に遅らされることになったのか、我々には知る由もなかったが、ドライバーの防寒対策はもとより、エンジンの保温を強化しなければならないことは明白だった。ただし、整備力が低下している現状からすれば、準備期間が増えることは歓迎すべきことかもしれないと一瞬感じたものの、調べてみると、ここ八戸での初雪は平年値で11月11日。となると、教習コースをお借りしている三八五オートスクールさんにご迷惑をおかけしないためにも、10月末には実車走行練習を終えておく必要がある。

いつ部活動が再開できるのかも含めて、難題が突き付けられ格好になったのだった。

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3月31日、大会公式ホームページが更新された。鈴鹿、もてぎ、九州の各地方大会については日程が記されていたが、全国大会は「日程未定」とされていた。

コロナ禍がなかなか収まらないため、参加者が格段に多い全国大会のみ日程発表を保留したのだろうか。あるいは、例年に比べて極めて遅い時期の開催に抗議の声が寄せられたことによるものなのだろうか。いずれも推測に過ぎないが、日程が定まらない限り活動計画も立てにくい。早めの日程発表が望まれた。

ここ青森県も含めて多くの都道府県に適用されていた「まん延防止等重点措置」は、3月21日をもって全面解除された。しかし、青森県内の県立学校には部活動を週3日以内するように要請が出されており、4月3日になって本校もそれに準じる方針を取ることが通達された。制限は残ったものの、1月18日以来、約2ヵ月半ぶりに部活動を再開できるようになったことは朗報と言えた。

4月4日の始業式直後から活動を再開すると、中途半端なまま放置されていた空燃比制御システムのトラブル原因の追及を再開し、それを解決すると、4月13日,14日にに前年11月中旬以来、約5か月ぶりのシャシローラテストを実施したのだが、何と燃料消費量は過去最良。

思いもよらぬ事態にその原因を解明しようと意気込んでいていたところ、本校学生の感染者が増えたことから、4月15日は臨時休校、4月18日から22日までのオンライン授業化、5月8日までの部活動停止が打ち出されてしまった。

経験不足の部員に経験を積ませたいとの意図もあって、この年は4月には走行練習を開始したいと考えていたのだが、1月18日からの部活動禁止措置のため、それは不可能となっていた。そこで、部活動が再開された4月初めには、5月中の走行練習を目論んでいたのだが、それもできなくなって、頭を抱えざるを得なかったのだった。

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5月8日から部活動が再開されると、4月13日、14日の燃料消費量低減の原因を探るべく実験を再開したのだが、肝心の燃料消費量自体は当時のレベルには及ばないまま、装置や部品を破損させる事態も相次いで、迷走する日々が続いた。

そうした中、5月20日に全国大会の日程が10月1日、2日と再発表された。当初発表されていたのが11月下旬だったので、早まったとしても10月中旬から下旬だろうと見込んでいただけに困惑させられた。と言うのも、この年最初の走行練習を6月に実施しようとして、2009年度以来教習コースをお借りしている三八五オートスクールさんにご相談したところ先方のご都合が悪く、最初の走行練習は早くても7月上旬になることが見込まれていたからだった。

ここまで最初の走行練習が遅くなるのは、コロナ禍に見舞われて大会が中止となった過去2年を除くと、「最小回転半径5m以内」という規定改正が突如打ち出されために、その対応に忙殺されていた2011年度以来のこと(ただし、この規則改正案は、後日義務から望ましいに変更された)。

話は変わるが、この2年間、長期に渡る部活動休止やら活動時間の制限などにより、部員数は2019年度の全国大会時の14名から6名まで減っていた(その後7月に1名入部)。しかも、全国大会経験者はわずか1名。地元での走行練習は、燃費データを取りながら調整していくことや、ドライバーに習熟してもらうことが、本来の目的である。ただし、全国大会に備えて、部員にピットの設営や走行準備を模擬的に確認してもらうことも重要で、この年の状況ではそれがいつにも増して重要と思われていただけに、少なくとも7月上旬まで最初の走行練習が伸びてしまったことは、我が部にとって大打撃となった。

6月1日になって、三八五オートスクールさんから7月3日と18日の走行練習の許可をいただいた。

翌日に定期試験が明けると、活動再開。不調に陥っていたNP号Ⅳのエンジンのオーバーホールや足回りの調整を開始したのだが、経験不足の部員に日程管理の意識は乏しく、その時点では不必要な作業を繰り返したりしたことに整備ミスも重なって、再びシャシローラテストを行えるようになったのは6月30日まで持ち越されることになった。試験やコロナ禍に伴う活動休止期間がなかったにもかかわらず、エンジンのオーバーホール等にこれ程の時間を要したのは前代未聞で、それが我が部の現在の実力を反映していた。なお、全国大会にはRS号も含めて2台をエントリーしていたが、この時期、RS号まで整備する余裕はなかった。

そして迎えた7月3日の初回走行練習.持って行ったのはNP号Ⅳのみ。エンジンの調子はまずまずだったが、惰性走行はNP号Ⅳとして過去最悪だった昨年度の状況をさらに下回る有様。試行錯誤的に仕様を変えて様々試してみたものの、ほとんど改善は見られず、絶望的な気分に苛まれたのだった。

翌日に検証してみると、惰性走行低迷打開のひとつの手がかりが得られた。しかし、翌7月5日になると、コロナ感染者の増加により、その日の臨時休校と8日までのオンライン授業の方針が打ち出され、部活動は禁止となってしまったのだった。

活動は7月11日に再開されたが、ここ八戸市ではコロナ感染者数が連日過去最高を記録する有様。そうした中で、7月14日になって、ハブの基本的なメンテナンスがおろそかになっていたことが判明した。原因がわかったことで、7月18日の走行練習に向けて弾みがつくと思われた矢先、7月15日なって、感染者と接触したとの理由から部員2名が自宅待機となってしまい、7月18日の走行練習は中止せざるを得なくなった。7月18日になってみると、梅雨の合間の久しぶりの好天に恵まれただけに、残念な思いが募った。

この7月18日は部員3名で校内でのシャシローラテストを実施したのだが,4月13日、14日以来の好記録。今度こそ好記録の原因を追求しようと意気込んでいたところ、途中で潤滑用ポンプが駆動できなくなってテストは中止。潤滑ポンプの駆動回路の連続駆動に制約があることを知らなかったエンジン担当が過度にポンプを回し続けたため発生したトラブルと思われた。翌日調べてみると、白線で囲まれたMOSFET,ダイオード,フォトカプラが破損していたことが判明した。部品を交換して翌日からテストを再開したものの、翌19日を最後に好記録は出なくなってしまい、その原因を掴むことができないまま、定期試験前の部活動休止期間に入ってしまったのだった。

なお、その後もイグニッションコイルやそれを駆動するIGBT等の破損が発生した。また、この年の5月にはシャシローラテストの際に空燃比センサの電源として使用していたスイッチングレギュレータも壊れていた。しかし、エンジン担当に壊れた経緯を訊いても要領を得ない説明に終始して、これらの部品等がどうして壊れたのか結局わからないままに終わっていた(コロナ禍前まではたいていの場合、担当者がきちんとした説明をしてくれたために原因を早めに特定できていた)、長年何のトラブルもなく使用してきた部品等を壊してしまったことは、この年の技術レベルを象徴していたと言えるだろう。

一方、コロナ感染者数は、地元八戸市だけでなく、青森県や全国の感染者数も過去最高を更新するようになっていて、全国大会の開催も心配されるようになってきていたのだった。

8月に入ると降雨が相次ぎ、青森県内では西部の津軽地方などで豪雨による河川の氾濫等による被害も報じられていた。こうした中で8月22日の走行練習が無事実施できるのか危ぶまれていたが、幸いにしてこの日は好天に恵まれた。ところが持って行ったNP号Ⅳは、遠心クラッチのトラブルで、データ取りができない事態に見舞われてしまった。エンジン担当によると、その予兆は2ヵ月前から出ていたようだが、それをしっかりと申告していなかったために、きちんと原因を究明することが等閑にされたままになっていたのだった。真に人災と言えた。

何とか応急措置を施して、データを取ることができるようになったのは14時過ぎだったが、この日は三八五オートスクールさんのご都合もあって早めに撤収せざるを得ず、データを取ることができたのはたった2回にとどまった。肝心の惰性走行性能は奮わないままで、全国大会まで残り2回となった走行練習で打開できるのか切実な不安感に苛まれることになったのだった。

翌日以降調べてみると、NP号Ⅳの遠心クラッチのトラブルは、ドライブプレートのめねじが傷んでいたため、それを固定するおねじがしっかり締められていなかったことが原因と判明した。6月末にクラッチの部品が傷んでいたために、部品の交換作業を行ったのだが、入部以来初めてその作業に臨んだ部員たちが、組立を間違えただけでなく、その状態で無理やりねじを締めつけたことによって、めねじを損傷させたものと思われた。

30年間エコランをやってきてこんなトラブルは初めてのことで、如何に我が部の技術や技能が低下しているのか突き付けられた思いだった。その後めねじはタップを立てて修復したものの、信頼性を確認するには全国大会まで残された活動期間が少な過ぎた。このため、整備が手つかずのまま放置されていたRS号用のものを転用して乗り切ることにした。この時点でRS号の全国大会不参加は確定したと言えた。

3回目の走行練習は8月29日。前々日から前日まで雨に見舞われたが、またしてもこの日は好天。部員に晴れ男、晴れ女がいるのだろうか。

この日は、前回まで惰性走行不振に陥っていたため、前輪の軸受を新品に交換するとともに、後輪も含めてハブの調整を一からやり直して臨んだだけに期待も大きかったのだが、またしてもトラブルのためデータ取りの開始が阻まれた。ようやくデータ取りが始まったのは12時過ぎ。当初は惰性走行は不調のままだったが、ハブの調整を繰り返すと、ある程度回復を見せ、燃費もベストには届かなかったものの、コロナ禍前の3年前に出して以来の好記録となり、エンジン、シャシも含めてようやくコロナ禍前の水準に戻りつつあることが実感できたのだった。ただし、日常的にトラブルが相次ぐ傾向は改善されておらず、信頼性についてはまだコロナ禍前には戻ってないことは確かで、この点の改善が課題と言えた。

信頼性回復とはまだ言えなかったものの、エンジンの整備水準をある程度まで回復させることができたのは、2013年卒のY.Nさんが残して下さったエンジン整備マニュアルがあったからだった。

この年、エンジン担当だった3名の3年生は、コロナ禍による活動制限のため、卒業していった先輩からろくに整備方法の引継ぎを受けていなかった。このため過去2年は深刻なトラブルに見舞われ続けていた。そんな中で頼りにしてきたのは、Nさんが残して下さった210頁にも及ぶ写真入りのマニュアル。ほとんどそれだけを頼りにして、整備を繰り返すことで、その力をある程度まで回復させてきたのだった(Hoada純正のマニュアルを見ない弊害はあったが)。

我が部はもともとそれ程のポテンシャルを持ってはいない。ただし、こうした形でノウハウを後輩たちに引き継いでいく文化があったからこそ、そこそこの成績を長年持続できてきていたのだった。設計図面をきちんと整理して残してきて下さったことも含めて、改めてOBの皆さんの貢献に、頭が下がる思いだった。

ちなみにこのNさんは、全国大会にも顔を出して下さったが、「エンジン整備マニュアルも古くなったでしょうから更新して下さい」と発言されていました。現エンジン担当には、ぜひそれを果たしてもらいたいものだと痛感させられました。

9月5日、全国大会事務局から公式通知等が発表された。それによると、グループⅢの参加チームは前回2019年度の66台から47台まで激減していた(ちなみに1998年度は151台)。我が部同様部活動が大幅に制限され、参加したくてもエントリーできる状況に至らなかったチームが多かったものと推察された。次年度以降、そうしたチームが体制を整えて復帰してくることを願いたい。

ところで我が部では全国大会経験者はたった1名。このため、OBの皆さんが撮影して下さった大会運営に関する写真を使った詳細な資料を7月上旬に作成して、部員に閲覧してもらうようにしたが、日頃から文書を掲示してもろくに読んでくれていない部員もいて、果たしてこの資料をきちんと読み込んで、無事に全国大会を乗り切ってくれるのか不安が募るばかりだった。結局、作成した資料はその後も追加して数十枚に及んだが、部員の全国大会への理解度が上がったとは言えなかった。

そこで決め手となったのは、ほぼ毎年のように大会に参加して画像や映像を撮影下さるOBのEさん制作の2017年度全国大会のビデオ。丁寧に大会時の動きを撮っていただいていたこともあって、多くの部員がその理解を深めてくれたようだった。

ちなみにこの年は、前述したように大会経験者が1名しかいないこともあって、OBの皆さんには、今後に備えて、大会時の動きが詳細なわかるような画像や映像を撮ってもらうように事前にお願いしたところ、常連のOさんやEさんが懸命に撮影をして下さいました。全く頭が下がるばかりですが、こうしたOBの皆さんの支えがあったからこそ、過去にそれなりの結果を出し続けてこられたことを、現役部員には噛みしめてもらいたいものだと改めて思わされた次第です。

全国大会前最後となる4回目の走行練習は9月12日。9月に入っても相変わらず降雨に見舞われ続けていたが、9月5日からは降雨もなくなり、この日も好天に恵まれた。

最後の走行練習というと例年、ミスは許されないし、何としても好記録を出すという部員の気迫が感じられたものだったが、この年はそうした感はなく、のんびりした雰囲気だった。リラックスした雰囲気が悪いとは思わなかったが、それが緩みにつながっていて、それがなければ走行できない重要なパーツや機材を部室に忘れてきて、学校に取りに戻らざるを得なかったのは情けない限りだった。このため、この年の過去3回同様データ取りのスタート時間が大幅に遅れてしまったが、全国大会では厳しいスケジュールにさらされるので、そこで乗り切れるのか不安を感じざるを得なかった。

肝心のデータ自体は、惰性走行性能はまずまずだったが、燃料消費量は直前のシャシローラテストからの低迷を引きずったままで,前回の走行練習に比べると4%前後悪化したまま推移した。

2019年度までは、整備力向上の目的も兼ねてエンジンのオーバーホールを頻繁に行っていた。特に全国大会前には必須としていた。しかし過去1年を振り返ってみると、前年11月とこの年の6月に実施しただけにとどまっていた。しかも再び暖機運転できるまでに約1ヵ月を要し、しかもその後もトラブルの続発に悩まされ、まともにシャシローラテストができるようになるまでプラスアルファの少なからぬ時間を加算せざるを得なかったため、この年は全国大会直前にオーバーホールする計画を持ってはいなかった。しかし、9月12日の最終走行練習の結果を受けて、限られた活動時間の中で、腰上だけもオーバーホールでもできないかとエンジン担当に打診してみると、やりたいとの返事。

オーバーホールしてみると、吸排気バルブのタペットクリアランスが信じられない程狂っていたことが発覚。吸排気バルブも異常な汚れ方で新品に交換することにしたのだった。エンジンが組み上がったのは9月19日。翌日にはシャシローラテストを行ったがトラブルもなかったものの、肝心の燃料消費量自体はほとんど回復を見せないままで、結局吸排気バルブも元のものに戻すことにしたのだが、大会4日前には部員の不注意からアクチュエータのケーブルの切断やら、回路の故障に見舞われた。

このため、全国大会に持って行かないことに決めていたRS号の部品を取り外してNP号Ⅳに装着して対処することにしたものの、過去1年間、どれだけ部品を破損させてきたのかきりがない程で、それが大会を目前にしても改善されていないことを改めて目の当たりにさせられた出来事だった。我が部では、エコラン初参戦当時から「信頼性と安全性の追求」を掲げてきたが、コロナ禍で活動が大幅に制限される中でそうした理念は失われてしまったようだった。

3年ぶりの全国大会を迎えるにあたって、例年ならば「皆でチェックしあってミスを極力排し、チーム記録更新を果たそう」と言っていたのに、この年は「完走させるために、マシンを壊さないで欲しい」と言わざるを得なかった。トラブルがなければそれなりの記録は出せるだろうが、頻発しているトラブルが全国大会で発生する可能性は高く、完走できる確率は半々と思われた。

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そして9月30日。恒例の八戸駅前で記念写真。

参加した部員はわずか7名。2019年度の14名に比べて半減していた。これほど少なかったのは2002年度の5名以来。しかも、大会経験者は1名のみ。まともに大会を乗り切れるのか不安は尽きなかった。

大会初日。

好天に恵まれ、テント等の設営が済むとシャシローラテスト。

ここまでは、日頃の走行練習と同じパターンだったことから、ほぼ順調に推移していた。

 

こうした準備が済むと,前例のないことだが(もしかしたら初のもてぎ開催となった1997年度には実施していたかもしれないが)、部員を連れて、車検場の出入り口,再車検に備えた整備場、スタート前待機エリア、サインエリアの入口等を案内して回った。

にもかかわらず、車検に臨む頃になると、経験のなさが露呈し、いるべき場所に、持つべき工具等を持って待機していないという細かなミスが続発するようになった。

そうした中で、過去一番心配だったブレーキテストを迎えたが、2019年度の大会後にディスクブレーキに改修していたこともあって、難なく乗り切れたことは幸いだった。

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そして,練習走行のスタート。

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1周目の自動停止速度は過去に比べて余裕を持たせた設定だったにもかかわらず、25km/hの規定速度ぎりぎりだったため,2周目以降は最適な走行パターンを試行錯誤的に探る苦しい走行が続いた。

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そして,ゴール。

無事完走はしたものの、最適な走行パターンはつかめないままに終わった。

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走行後燃料計測を終え燃費を算出してみると1698km/L。この年も、練習走行日の車両保管がなかったため、ゴール後速やかに走行データの解析に入ることができたのだが、惰性走行の伸びの悪さは過去に見舞われたことがある風向きによるものではないものと判断された。整備力の低下が顕著で、完走が最大の目標というスタンスで臨んでいたものの、運良くマシントラブルがないまま完走できれば、この程度の記録は出せるものと考えていたが、近来にない程ドライバーが軽量だったにもかかわらず、それを活かせなかったことは、整備や走行パターンに瑕疵があったものと思われた。

結果が発表されると、我が部は1位になっていた。初日の1位は6回目。我が部は長年、大会初日は良くて、2日目は惨敗ということを繰り返してきただけに、少しも浮かれた気分にはならなかった。

そんなことよりも驚かされたのは、この程度の記録なのに、2位との差が約560km/Lもあったこと。我が部は様々な活動制限により、改良点は皆無に近く、劇的に低下していた整備力の回復に努めるしかなかったのだが、他校の皆さんもご苦労されていたのだと思い知らされたのだった。

また、車検以降の部員の動きは混乱の限りを尽くしており、翌日に向けて大きな課題として立ちふさがっていた。

大会2日目の朝。

シャシローラテストをしていると、空燃比センサの異常が発生した。キャリブレーションし直せば解決できたのかもしれないが、時間がなかったため、思い切って新品に換装して事なきを得た。

また、後輪の回転を検出するセンサのケーブルが切れそうになっていたことをOB氏から指摘され、予備用として持参してきていたRS号用のものに換装したのだが、その際に近接するメイン回路のアース線がきちんとねじ止めされていなかったことも判明した。

大会前に、「コネクタ等を中途半端に締めつけたまま放置しないこと」を改めて注意していたにもかかわらずこの始末。整備に対する部員の意識の低下をまざまざと見せつけられた思いだった。後で振り返ってみると、空燃比センサの異常は、アース線の締めつけ不良によるものかもしれなかった。

公式燃料タンクが供給されると、例年と同様に、エアの発生に悩まされた。車検までに解決せず、車検後にホースバンド等の交換作業をしていると、ピットを見回っていた年配のオフィシャル2人組の方のお一人に、車検後に燃料系統をいじっているのは問題だと注意された。言われてみれば確かにそのとおりと思ったが、28回目の出場でこんな指摘は初めてだった。しかし、公式燃料タンクを取りつけた際にエアの発生や燃料漏れに悩まされるのは毎度のことで、オフィシャルが供給する公式燃料タンクに原因があることは、長年参加しているチームでは共通理解だろう。

このため、「エア発生のため対策しています」と答えると、しばらくしてもう一人の方が「細かい泡が出ているんでしょうね.対策してくさい」と言って下さって事なきを得たが、実情を知らないオフィシャルの声掛けによって、被害を被ったチームもあったかもしれない。

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そして、例年よりも約1時間半遅れてスタート.

この年は、感染防止の観点からか、グループⅡのチームがスタート前待機エリアから完全にいなくなってから、グループⅢのチームが招集されていた。また走行中も、グループⅡのマシンを見かけることはなく、コース上は閑散としていた。グループⅡのマシンが全てゴールした上で、グループⅢのスタートを始めたようで、スタート前待機エリアでの感染防止だけでなく、走行中の接触事故抑制の観点からは望ましい対応と言えたが、我が部のように遠方から参加しているチームにとっては、撤収時間が遅れることは望ましくない一面もあり、再検討をお願いしたい。、

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前日の結果を受けて、自動停止速度を上げて臨んだものの、1周目は規定走行時間ペースと同じ。3周目からは余裕時間が持てるようになってきたが、なかなかそれが増えていかなかったため、6周目まで余裕時間を稼いで、最後の1周でペースダウンする作戦を取ることにした。

しかし、ドライバーにはその意図が伝わらなかったようで、6周目の段階で1分以上の余裕時間があったにもかかわらず,最後の1周でも規定走行時間ペースを上回る有様で、72秒もの余裕時間を残してゴールしたのだった。

この結果に、OB氏からは、スマホを利用して口頭で指示を出した方が良いのではないかとアドバイスを受けた。

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無事ゴールすると、拡声器から「317はAへ、車両保管」のコールで、車両保管エリアに最も近いところに着けさせられた。

車両保管エリアまでの距離が短いことは幸いだったものの、従来は公式燃料タンクの燃料の減り具合を見て、車両保管の判断がなされていたのに、今回は前日や前回大会の記録から判断されていたようだった。

このため、前日リタイアだったり、大きく記録を伸ばしたチームは車両保管の対象外となっていたようで、何のための車両保管なのかが不明で、運営側の対処に疑問が残った。

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手元集計では前日から200km/L以上も下げる1495km/Lと不本意な記録に留まった。しかし、2日目に記録を落としてきた例年と比べると、悔しさはほとんどこみあげてこなかった。日常的に整備ミスやら部品の破損が相次いで完走すら覚束なかった上に、大会経験者もわずか1名で、「きちんと大会日程をこなして、完走する」というこの年の最大の目標を果たすことができたこととともに、今の我が部の実力からすれば、こんなものだろうという思いもあったからだった。

ところが、せいぜい4~6位程度と思っていたら、結果が発表されると、何と優勝。部員たちは大喜びしていたが、2018年度に優勝した時と同様、素直に喜ぶことができなかった。

2018年度は台風接近のため、大会初日に降雨の中で決勝が行われた異例の大会。そして、この年はコロナ禍の影響が残る中での大会。両大会とも、多くのチームがその実力を発揮できる環境ではない中での優勝となったが、それでも2018年度は降雨の中を完走したという達成感はあった。しかしこの年は、好天にもかかわらず、こんな低記録での優勝に、唖然とする他なかった。大会後に調べてみると、これ程の低記録でのグループⅢ優勝は2005年度以来だった。その後、グループⅢではKIT(金沢工業大学)さんや名城大学さんなどが競い合われて優勝記録を伸ばされてきたことからすると、こんな記録での優勝に申し訳ないような気持ちにも駆られた。たぶん2位以下に留まっていたら、こうした煩悶は生じず、素直に完走を喜べていたものと思われる。

なお、大会後にロギングデータを詳細に点検してみると、大会2日目の惰性走行は明らかに悪化していて、大会初日の走行後に行ったハブのメンテナンスが失敗したものと思われたが、悪化代はせいぜい3%程度と判断された。もちろん、ドライバーの判断ミスの影響も大きかったが、自作ECUによれば燃料消費量の悪化代は2%にも満たなかった。インジェクターの漏れの疑いも見受けられたが、漏れについては、大会直前から若干の疑いを持っていたものの、相次ぐトラブルの対応に追われてそのままになっていたのだが、大会初日に比べて2日目は漏れ量が悪化していたようで、惰性走行後の再加速直後の空燃比がかなりリッチになっていた。しかし、大会後に漏れ量の検証実験を行ったところ、これらの要因だけで燃料消費量が初日に比べて200km/L以上も悪化したとはとても判断できなかった。

そこで、他クラスも含めて上位チームの成績を見渡してみると、全般的に燃費は初日に比べて大きく悪化しており、2014年度にも指摘したが、やはり大容量の公式燃料タンクを用いたトップアップ式の燃料消費量の計測に主原因があるのではないかという疑念を持たざるを得なかった。この年は燃料供給・計測開始からからスタート開始予定時刻までの時間が、2019年度の1時間45分から2時間45分まで伸びていた。当然のことながら、スタート前燃料微調整までの時間も1時間程度増えざるを得ず、燃料供給・計測時点からの気温上昇(この日の最高気温は30℃前後)の影響をより大きく受けたと言えそうだった。

大都市近郊のチームは近くで開催される地方大会に参加することは容易だろうが、本校チームの様に遠隔地にある場合は、年一回の全国大会にしか参加できず、そこでの結果が1年間の努力の結果を推し量る指標となる。そうした意味からも、燃料消費量の計測方法はぜひ見直していただきたいと思う。

ただし、我が部のシステムは簡単に全重量計測に対応できるようになっていないし、そうしたチームも少なからずあるものと思われるので、もし大会事務局が全重量計測に移行する判断をされるのならば、折からのコロナ禍で多くの学校チームが活動時間を制限されていることを考慮して、早めの発表をしていただきたいと願うばかりである。

そして表彰式。

我が部では表彰式の壇上に上がるのはドライバーを常としてきていたが、壇上に姿を見せたのは何と部長のM君。後で聞いてみると、ドライバーのS君が譲ったとのことだった。

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その後、表彰式会場をお借りして、記念写真。

写っているのは部員と顧問だけですが、この年もOBの方々など8名もの皆さんが顔を出して下さり、ビデオや写真の撮影等にご協力いただきました。

こうして3年ぶりの全国大会は終わりました。

八戸に戻ってみると、校内での感染者の激増を受けて、10月4日は臨時休校にして寮生は全員自宅に帰し、翌日から授業はオンライン化することが打ち出されました。感染者の激増が数日早かったら、全国大会出場すら認められなかったかもしれません。来年度こそはコロナ禍が収束し、今年度出場を断念せざるを得なかったチームの皆さんも参加され、本当に実力を競い合える大会になればと祈っております。そして、そうした中でチーム記録更新を狙えるよう、我が部も技術力をアップしていきたいと思います。

最後になりますが、日頃からお世話になっている三八五オートスクール八戸校さん、バイクショップヨシダさん、サイクルショップコアカザワさん、草創期からご支援いただいている武尾文雄先生や本校実習工場の皆様、この年から副顧問になっていただいた角館俊行先生をはじめとする本校教職員の皆様、そしてOBの皆様に改めて深謝の意を申し上げます。