2024年度全国大会

大会名称 本田宗一郎杯Hondaエコ マイレッジ チャレンジ 2024 第43回全国大会
日時 2024年10月12日、13日
場所 栃木県茂木町 モビリティリゾートもてぎ スーパースピードウエイ
NP号W 記録 1582.234km/L
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校生クラス) エントリー33台中3位
NP号X-AL 記録 1431.365km/L
順位 CNグループV(大学・短大・高専・専門学校生クラス) エントリー10台中1位

2020年3月以来続いたコロナ禍による日常活動の様々な制約は、2023年5月8日に、新型コロナが季節性インフルエンザと同じ感染法上の5類に引き下げられたことにより、ある程度撤廃されました。しかし、2023年度はコロナ禍以降に卒業していった方々からまともに技術の伝承を受けていなかった部員達の技術力の低下は著しいままで、新型車NP号X-ALの製作作業は、2023年3月に実施したアンダーカウルの加熱成型が大失敗に終わったこともあって、その補修作業が難航し、7月に入るとこの年の全国大会に間に合わせることは不可能だと判断し、目前に迫った全国大会に備えるべく、整備力回復に全力を注ぐため製作作業を中断させていました。

2023年度の全国大会が終わると、新型車のアンダーカウルの補修作業を再開させたのですが、全国大会時にOBの皆さんに、「シリンダヘッドの傷みがひどいんだけれど、今や誰も追加工できる部員がいないんだよね。整備力の低下も深刻だけど、製作力はほとんどゼロになってしまったんだ」とこぼしたところ、地元在住で、生産技術の研究に従事していらっしゃるHさんにから、「私が指導してもいいですよ」とのお言葉をいただきました。大会が終わって、そのことを部員達に話すと、「ぜひご指導を受けたい」との声が挙がりました。

こうして、久しぶりに機械加工作業に取り組むことになったのですが・・・。

10月14日、OBのHさんによる製作講習が始まった。1992年度に初代JT号を開発して以来31年になるが、OBの皆さんに来校していただいて整備方法についてアドバイスを受けたことは数回あったが、機械加工の指導を受けたのは今回のHさんが初めてで、部員達の製作能力がかつてない程落ち込んでいる証左でもあった。10月14日は工法や事前準備の確認に留まったものの、過去に部員が加工した際のメモを見つつ、より良いものを作るべく様々な提案をいただき、「さすが」とうならされたのだった。

Hさんからは、「冷却フィンの切削ぐらいはできるでしょうから、来週までに済ませておいてください」と言われたのですが、授業では経験していても、コロナ禍のため部活動としてフライス盤を使ったことがある部員は皆無で、「フィンの切削から指導して下さい」とお願いせざるを得なかった。

実際の加工指導は10月21日(土)から始まったが、初心者レベルに合わせた講習となったことと、土日でも部活動の活動時間は3時間半(平日は2時間)に制限されていたこともあって、この日だけではフィンの切削すら終わらなかった。

一方、新型車NP号X-ALのアンダーカウルの補修作業は、大会も終わって、夏休みも明けた9月下旬なると再開し、10月上旬には作業を終えることができた。

残るはアッパーカウルで、その加熱成型を迎えたのは12月16日だったが、真空引きのテストはうまくいかず、いくら調べても原因が判明しなかった。しかし、12月23日からは冬休みに入ることになっていて、それまでに加熱成型を再トライできる時間が取れなかったことから、加熱成型を強行せざるを得なかったのだが、結果は、2008年3月に初めて加熱成型にトライして以来、最悪の出来。ドライバーの頭部が接するあたりが大きく凹んでいて、とてもパテで補修できるレベルではなかった。この年3月に続く大失敗だった。

カウル担当には過去の資料を読み込むように指示しておいたのだが、事前の準備状況は多少改善されていたものの、日程管理は甘く、作業手順もよく理解していたとは思えないままだった。

仕方なく、資材を買い足して、1月以降に再度加熱成型を行うことにしたのだが、年度末が近づいていて、予算が枯渇する時期の想定外の多額の出費は、我が部の財政に大きな打撃を与えたのだった。

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新年になると、1月1日には能登半島地震、翌2日は羽田空港での航空機の衝突事故が相次いで発生した。後者については乗客の死者がなかったことに安堵したものの、能登半島地震については、連日のように新たに発覚した被害状況が報道され続けていた。我々も、1994年の三陸はるか沖地震や2011年の東日本大震災で大きな被害に見舞われてきただけに、暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。

そうした中で、大会事務局から、「カーボンニュートラル燃料 WEB勉強会」の案内メールが届いた。2023年度の全国大会では、近い将来公式燃料をCN(カーボンニュートラル)燃料に変更したいとの発表があったので、この勉強会には全部員で参加することにした。どんな組成で、理論空燃比や燃料消費率が最良となる空燃比はどのくらいなのか、ひいては従来のシステムを用いても燃料漏れ等の安全性に関する問題はないのかなど、聞きたいことは山ほどあった。

1月16日に開催された勉強会は、エンジンの基礎を理解している人にとってはわかりやすい説明と言えたが、そうではない低学年生は十分に理解できていないようだった。大会参加チームが漸減傾向にあるだけに、学校チームの参加の新たなる参入障壁とならないように、初心者にもわかりやすいパンフレット等の作成を大会事務局にはお願いしたいと思わされた。

その上で、我が部では、長年「ガソリンで2000km/L突破」を目標としてきただけに、開発中のNP号X-ALの実車走行での結果を見極めて、本命マシンはガソリン、もう一台はCN燃料で出走させる方針を固めたのだった。

1月27日。念のため、真空ポンプまで買い足して2台体制で臨んだNP号X-ALのアッパーカウルの2度目の加熱成型。さすがに部員達も慣れてきて、作業は的確に見えて、期待を抱かせたが、前日の真空引きテストでは満足な結果が得られなかった。

1月27日当日も、漏れ箇所が見つかって応急措置を施したものの、合格レベルには達しないまま加熱成型に臨まざるを得なかった。結果は12月16日よりはましで、パテで補修すれば何とか使えそうだったが、相当な時間を要するものと思われた。真空引きに関して何か決定的な見落としがあるとしか考えられなかったが、2018年のRS号加熱成型時にはあったノウハウが、コロナ禍で失われてしまったことを改めて突き付けられた感があった。

そうした中での朗報は、2023年度全国大会でのエンジン不振の主原因は遠心クラッチの整備不良によるものと判明したこと。クラッチを整備し直してみるとシャシローラテストでの燃料消費量は以前の水準まで回復を見せた。このため、燃料噴射時間等の最適仕様を探るべく実験を重ねていきたいところだったのだが、許容できない程のオイル漏れに見舞われていたため、まずはその対策を優先することになったのだった。
この年の最初の走行練習は3月17日。場所は例年のように三八五オートスクール八戸校さんの教習コース。3月に走行練習を行うのは我が部として初めてのことだったが、新型車NP号X-ALをアッパーカウルなしでも走行させ、27年ぶりとなるアルミ合金製シャシの問題点を早期に洗い出すとともに、新人ドライバーの育成を目的としていた。

ただし、2月初めに三八五オートスクールさんに借用をお願いした段階では、暖冬で降雪も少なかったのだが、2月中旬になると、ここ八戸としては異常な降雪が相次ぎ、3月に入ってもそうした傾向は続いていた。このため最大の心配時は積雪がなくなるのかどうかだったが、ようやく3月11日頃から降雪は収まり気温も上昇して雪解けも進み、降雪のため走れなくなるかもしれないという懸念はなくなった。

しかし、NP号X-ALの部品の組付けや整備作業はドタバタ状態で、果たして走行練習日までにて間に合わせることができるのかということが、最大の心配事に浮上していた。新型車の初試走前というと、過去にもこうしたことが恒例だったものの、6年ぶりの新型車ということもあって、そのドタバタぶりの度合いは過去最悪レベルだった。結局、エンジンは不具合を抱えたまま当日を迎えざるを得ず、きちんと加速できないことが相次いだ。それでも、加速できた際のドライバーのコメントによれば、シャシフレームの剛性に問題がなさそうなことが確認できたことは収穫だった。また、この時点までには車両質量の測定を行っていなかったのだが、マシンの運搬に携わった部員たちが異口同音に「軽い」と述べていたことも好材料だった。

その一方、NP号Wは事前のシャシローラテストでは好調だったにもかかわらず、エンジン始動スイッチを押しても、スターターモータすら始動しない回路トラブルに見舞われた。このため、きちんとした燃費データを採取することは諦めて、新人ドライバーのS君に操縦に慣れてもらうことに重点をおくことに切り替えざるを得なかったのだった。

例年、最初の走行練習ではトラブルに見舞われることが多いのだが、この年は早めに走行練習を企画した分だけ、発生したトラブルも多くなってしまったというのが実情だった。

3月17日に発生したトラブルの原因は、NP号WではECU内の接触不良、NP号X-ALではエンジン回転数を検知するピックアップの不良と断定でき、幸いにもすぐに解決できた。比較的短時間で原因究明ができたのは、部員たちの技術力が上がってきているからでもあった。その後、NP号X-ALは約15ヶ月間ほったらかしだったエンジンのオーバーホールに着手したのだった。

4月に入ると、2日には本校としては異例となる早い時期の入学式。全国大会で2台出走を果たすためにも新入部員の確保は至上命題だったが、幸いにも15日までに4名が入部してくれた。

そして迎えた4月28日の2回目の走行練習。カウル担当責任者のA君の懸命の努力で、新型NP号X-ALは未塗装ながらアッパーカウルを装着しての走行に漕ぎ着けることができた。ただし、惰性走行性能もエンジン性能も不振だった。また、従来型のNP号Wも含めた2台とも、エンジン担当の初歩的な整備ミスで、走行を長時間中断せざるを得ないことが相次いだため、前回に引き続きろくにデータを取れないままに終わり、整備の信頼性をあげることが急務とであることを改めて思い知らされたのだった。

また、それ以上に問題と思われたのは、自分自身が整備ミスの当事者であるかもしれないのに、トラブルの発生を、面白おかしく仲間に吹聴していた部員がいたこと。初参戦以来、「安全第一」を掲げてきたのに、こうしたことが発生したことは、我が部にとって最大の危機と言えた。

当該部員には厳しく反省を求めたが、「ドライバーの命を預かっている部活」であることを、周知徹底させなければならないことを痛感させられた次第。

この年3回目となる5月12.日の走行練習。前2回は、散々トラブルに見舞われて、ろくに走らせることができなかったのだが、ようやくこの日はトラブルらしいトラブルには見舞われずに済んだ。しかし、段取りが悪く、データ取りの回数はわずななものに留まって、部員たちには先を読んだ動きが望まれた。

そうした中で、NP号Wは、昨年来の惰性走行不良状態からは脱したものの、事前のシャシローラテストで良好な結果を収めていたにもかかわらず、燃料消費量は奮わなかった。

一方のNP号X-ALは、エンジンが絶不調状態から脱することはできたものの、惰性走行性能は今一つで、最後に幾らか改善された気配もあったものの、風の影響も否定できず、はっきりしないままに終わったのだった。

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翌日の5月13日には、大会事務局に申し込んでいたCN(カーボンニュートラル)燃料が届いた。16日になって開栓しようとしたのだが、ドラム缶用の口金に遭遇したのは初めてのことだったので、開栓まで1時間以上を要してしまった。翌17日には、現用のインジェクタで噴射時間と噴射量の関係を調べてみたところ、噴射時間と噴射体積の関係はハイオクガソリンとほぼ同等であることが確かめられた。その上で同日にはNP号X-ALでアイドリングさせてみることにしたのだが、初爆しにくいとの事前情報どおりに、始動に至るまでは困難を極めた。また、20日にはハイオクガソリンと同様のセッティングで初めてシャシローラテストを行ってみたのだが、空燃比センサの出力は大幅に希薄化しており、上手く燃焼していないのは明らかで、燃料消費量が約20%も悪化してしまって、頭を抱えざるを得なかった。

このため連日のようにセッティングを変えながらシャシローラテストを繰り返したが、なかなか燃料消費量低減の糸口は掴めなかった。そのヒントが得られたのは5月24日のことで、そこから深堀していった結果、6月初めにはハイオクガソリンに対する悪化代を10%程度まで抑制できるようになったのだった。

そうした中で、5月31日には大会事務局から「CN燃料使用時のエンジン始動フローチャート」なる資料が公表された。恐らく、多くのチームが我が部と同様の状況に見舞われて、大会事務局に相談が殺到したためと推察された。

6月9日には4回目の走行練習。この日も、回路のコネクタの接触不良等のため、走行を中断せざるを得ないことが多発し、コロナ禍以来落ち込んでいる信頼性の回復が最重要課題であることを改めて突き付けられた。

それでも、CN燃料での初走行となったNP号X-ALは,トラブルに見舞われなかった場合、ハイオクガソリンで走った前回に比べて燃料消費量の悪化は約5%に留めることができた。しかし、惰性走行は深刻な不良状態のままで、燃費記録は奮わないままだった。また、走行練習後エンジンを分解してみると、シリンダヘッドやピストンは真っ黒けになっていた一方、点火プラグは白くなっており、前途多難と思わざるを得なかった。

一方のハイオクガソリンで全国大会に出走させることにしていたNP号Wも、燃料消費量、惰性走行距離とも中途半端な出来のままで、課題は山積状態と言えた。

そうした中、6月22日に行われたもてぎ大会では、CNグルーブUに出走した下総高校さんが1836km/L,進修館高校さんが1506km/Lを記録していたことを知った。短期間でCN燃料への対応をされたことに、さすが名門中の名門と改めて感嘆させられるばかりだった。

6月9日の走行練習から次の走行練習の7月8日までは約一ヵ月。NP号X-ALの塗装を施すために確保した合間だった。この間に、少なくともアンダーカウルの塗装は終わらせたいと考えていたのだが、塗装経験者がいなかったため、その準備や練習に想定以上の時間を要して、アンダーカウルの塗装が終わったのは7月6日のこと。この間はエンジンを回せず、CN燃料対策は全く進まなかったばかりか、この日ようやくアンダーカウルを装着してシャシローラテストを行おうとしたところ、始動すらできないトラブルに見舞われた。その原因が遠心クラッチにあるらしいことがわかったのは、この日の活動終了間際になってからで、この日はそこまでで活動終了。
こうして迎えた7月8日の走行練習。4日前までの予報では降雨となる公算が高かったのだが、幸いにも降雨には見舞われなかった。にもかかかわらず、その好機を活かすことができなかった。

前々日に遠心クラッチに異常がありそうなことが判明していただけに、エンジン担当が早出して点検修復するものと思っていたら、通常出勤。コロナ禍前の我が部では考えられない対応だった。

出勤後、部長でエンジン担当のS君はクラッチの整備点検に取り組んだのだが、調査の結果、遠心クラッチのトラブルの原因は、約十年前にクラッチプレートに施していた追加工のミスによるものと判明した。これまで何故一度もトラブルが発生しなかったのはわからなかったが、その一方で、S君が原因を見出したことには、コロナ禍でどん底に突き落とされていた我が部の技術力が回復しつつあることの証明でもあり、頼もしく思われた。

ただし、S君が荷物の積み込みに関与できなくなったために、荷物積み込みに関する司令塔がいなくなってしまい、複数の高学年生がその場の思いつきで指示を出すことが繰り返された。

結果として、遠心クラッチの点検修復には時間がかかり、予定よりも大幅に遅れて練習場に到着したのだが,着いてみると,ガソリン:携行缶や、塗装準備のため外していたNP号X-ALのフロントスクリーンを部室に忘れてきたことが発覚。我が部始まって以来の最悪のミスとなった。

走行練習の結果も奮わなかった。約一か月間放置されていたNP号X-ALは燃料消費量も惰性走行距離も最悪のままて、現場で幾らか修正しても全く効果が見られなかった。一方のNP号Wも絶不調だったが、終了間際に、ドライバーを兼任しているシャシ担当のFさんの提案で足回りの設定を見直したところ、惰性走行が良好なレベルにまで回復したのが唯一の収穫だった。

7月8日の走行練習が終わるとすぐに着手したのが、NP号X-ALのクラッチプレートの新品からの追加工。それを終えると、CN燃料対策として燃料噴射等に関する制御を大幅に見直した効果も含めて検証してみたのだが、折からの猛暑による燃温上昇もあってか、はっきりとはわからなかった。

定期試験やお盆休みを挟んで、8月26日に実施した走行練習では、それまできちんとアライメント調整をしている暇が取れなかったNP号X-ALにようやく調整を施して臨んだだけに期待も大きかった。しかし、惰性走行性能は改善されないままに終わった。また、撤収間際に時間がないため暖気が不十分のまま走らせたところ、この日の午前中の走行に比べて燃料消費量が10%以上も悪化してしまったが、ハイオクガソリンでは経験したことがない悪化代だった。この時のエンジン温度は、全国大会最終盤で達すると思われるもので、CN燃料使用時に全国大会で完走させるには低温時の対策が必要であることがわかったことは、この日の唯一の収穫と言えた。

最優先課題のひとつに浮上したCN燃料における低温対策。その途上で迎えた9月8日の走行練習。わざと低温のまま走らせたところ、燃料消費量の悪化代は、前回よりも低減できたていたものの、まだまだ対策が不十分なことが突き付けられた。また、NP号Wでは、電子ケーブルの断線に見舞われて、学校まで戻っての修復を余儀なくされた。このところ、同様の事例は多発しており、部員たちの電子ケーブルの取り扱いの粗雑さが引き起こしたものと言えた。

そうした中での唯一の収穫は、不振が続いていたNP号X-ALの惰性走行性能が回復を見せたこと。ただし、走行を重ねていくと、極端に惰性走行距離は悪化してしまい、その原因は解明できないままに終わったのだった。

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9月9日に大会事務局から公式通知Tが発表された。それを見ると、エントリー台数はグループVで33台、CNグループVで10台と合わせて43台で、前年度のグループVの42台よりも1台だけだが増えていて、長期低落傾向に歯止めがかかったのは喜ばしいことだった。

その一方で、決勝日のスタート時刻は1時間ぐらい後送りされ、正式結果発表予定時刻も同じくらい遅くなっていたことには困惑させられた。表彰式自体の時刻は前年度と変わらなかったが,車両保管された場合、前年度までは、正式結果が出て車両保管が解除されると、すぐさま撤収作業にかかって、それを終えた上で表彰式に臨むことができたのだったが、この年のスケジュールではそれはかなわず、撤収作業は表彰式後に持ち越さざるを得ず、会場を出立する時刻は1時間程度遅くなることが見込まれた。好結果を出せなかった場合には問題ないものの、表彰対象になった場合はかなり撤収時刻が遅くなってしまう。

一方、この年は大会が3連休にぶつかったこともあって、半年前に団体切符を申し込んだにもかかわらず、往路復路とも希望の列車の切符が取れず、復路については宇都宮駅発が例年よりも1時間14分も早くなっていた。

これまでは大会終了後に、宇都宮駅周辺で名物の餃子を食べたり、お土産を買ったりすることができたのだが、この日程ではそうした時間がほとんど取れなくなってしまう。1年間頑張ってきた部員たちのささやかな楽しみを奪わないためにも、決勝日のスケジュールを従来通りに戻していただきたい。

この年最後となる9月23日の走行練習直前に見舞われたのが、NP号Wの回路トラブル。エンジンが始動できないというもので、何とか走行練習前に修復できたものの、このところ部員の不注意による電子ケーブルの断線や接触不良が相次いでいたために、全国大会に向けて心配の種は尽きなかった。

9月23日は、前々日から続いていた雨がこの日の朝5時頃には降りやんだものの、7時頃になると再び断続的に小雨が降るようになった。.9時頃練習場に着くと水溜りの水を掻き出す作業に追われ、雨も降り止んで、ようやく走れるようになったのは12時頃。

最初に走らせたNP号X-ALは、初回こそ、そこそこの惰性走行を見せたが、その後は尻蕾。ただし、8月26日の走行練習以来検討を続けてきた低温時の燃料消費量の悪化代抑制対策が、ある程度効を奏していることが確認できたことは収穫だった。

一方のNP号Wは良好な惰性走行を示したが、燃料消費量は物足りないもので、全国大会に向けて、2台とも課題が大きいことを突き付けられたっのだった。

9月23日の走行練習では、NP号Wで空燃比センサの出力信号に大きなノイズが載っていたため、その対策を施してテストしてみると、今度はカム近接センサや主電源リレーの動作不良に見舞われた。さらに、9月30日には、冷却用オイルポンプが動作しなくなり、その点検中には発煙する有様。しかもその上に、回路操作を熟知していなかった部員のECUの操作ミスが続発し、それに振り回されて、セッティングの煮詰めは進まなかった。

9月23日のトラブルの前にも、5月頃から電装系統のトラブルは発生していたが、8月に入るとその頻度は高まった。振り返ってみても、これほど電装系統のトラブルに見舞われた年はなく、部員がセンサ等のケーブルを断線させるトラブルもあったのだが、ECUの基板のハンダ付け部の割れ等の不良も続発していた。現行の基板を作ってから、新しいものでも4年半、古いものは12年も経過しており、振動等による経年劣化が進行しているものと思われた。1997年度に初代点火回路を開発してから、これほど長く同じ基板を使い続けたことはなかったが、これもコロナ禍のため活動時間が限られていたことと、それに伴って基板製作技術の伝承ができなくなってしまって、基板の改良をしたくとも、それを伴う改良は諦めて、ECUの改良はもっぱらソフトウエアの改良に頼ってきた経緯があった。

しかしその反面、このところの回路トラブルの続発を受けた対策のおかげで、回路に対する理解が深まった部員が育っていた。このため、全国大会後には久しぶりにECUのハードの改良に取り組もうという気にさせられたのだった。

こうした中で、大会直前の10月3日には、後輪ハブに使用している六角穴付ボルトの六角穴をなめてしまい、分解整備できなくなるトラブルに見舞われた。絶望感に包まれたが、ものづくりセンターのAさんの奇想天外な発案で、なんとか分解できるようになってほっとしたのも束の間、翌4日は同じ1年生部員が同様のトラブルを発生させる始末。さらに同日のシャシローラテストでは、燃料加圧用のペットボトルの圧力を測定するセンサへの電源供給が一時的に止まってしまうトラブルが発生したために、燃圧が異常をきたし、我が部の生命線たる燃料噴射時間に関する学習係数が大幅に狂ってしまった。原因は接触不良で、ケーブルの交換で事なきを得たのだったが、翌5日朝には部員の不注意から、冷却用ポンプのモータが断線。また、フロント回路のLCDも接触不良に起因した動作不良に陥った。そして、これらの問題を解決したと思ったら、夕方にはシャシローラテスト中に、後輪クラッチ機構の動作不良で加速できなくなってしまった。さらに、8日には、遠心クラッチのトラブルに見舞われた。

以上のトラブルは、完走すら危ぶまれる深刻なものだったため、最優先で対策に取り組んで、大会前には一定の解決を見たのだったが、その一方で、NP号X-ALで9月27日のシャシローラテスト以降、高回転域で燃焼状態が極めて悪化していることが認められていたのにも関わらず、その原因を追究している暇がないまま、大会を迎えざるを得なかったのだった。

大会前や大会当日にトラブルに見舞われるのは我が部の伝統?でもあるのだが、これほどの頻度や深刻度で発生したことはかつてなく、「早くコロナ禍前の技術水準に戻したい」という願いは、この年もかなえられなかったことを突き付けられたのだった。

コロナ禍前までは、「自己記録更新」を掲げて大会に臨んでいたが、2022年度に大会が再開されてからは、「トラブルなく完走させる」ことが目標になっていた。この年も同様とならざるを得なくなってしまったが、2台ともトラブルに見舞われる前のシャシローラテストでの燃料消費量は良好だっただけに痛恨の極みと言えた。

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恒例の八戸駅前で記念写真。地元在住のOBで、製作講習の講師も務めていただいたHさん(後列右端)が、八戸から同行して部員の輸送にご協力下さった。
大会初日の10月12日は、事前の予報どおりに適温の好天に恵まれ、表面的には設営、整備作業も順調に進んだかのように思えたが、部員たちが自分の役割分担を全く理解していなかったための迷走がかつてない程相次いだ。

大会前には、個人名まで掲げて詳細に役割分担を記載した資料を配布し,それに基づいた長時間のミーティングを行うのを常としてきていて、この年も同様だった。しかし、これまではミスがあったにせよ些細なものに留まっていたのに、この年は頻度も深刻度も異常な程で、部員の意識の変質を感じざるを得なかった。

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12時頃になると、練習走行に備えてスタート前待機エリアに移動を始めたが、NP号X-ALはその入口でトランスポンダが反応せず、入場できなくなってしまった。いろいろ試したものの改善できず、アンダーカウル内部に取り付けていたトランスポンダをカウルの外に移設することにより、ようやくクリアできたのだったが、暖機する間もなく、そのまま出走前燃料微調整エリアに駆けつけざるを得ず、スタート時のシリンダ温度は53℃。CN燃料は温度に敏感なだけに、致命的とも言えた。

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一方のNP号Wは、スタート前待機エリアでの暖気中に左前輪がパンク。このため、スタート前待機エリアの外に待機しているはずの部員から、工具や予備部品を受け取ろうとしたものの、誰もいない。こんなことは過去に例がなく、結局携帯電話で連絡してそれらを持ってこさせたのだが、部員たちが自分の役割分担を全く理解していなかったことはこの日の朝から散々露見していたのが、それが改めて露わとなったのだった。

このため、かなり遅れて予備タイヤやチューブ、工具が届けられたのだが、ドライバーのFさんが足回り担当だったこともあって、換装作業は素早く、幾らかの時間的余裕を持って作業を終えることができ、ある程度暖機してスタートすることができたのだった。

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NP号X-ALは、日常的に行っているシャシローラテストでも、地元での走行練習でも経験したことがない低温でのスタートとなったが、最初の1周は順調だった。ところが、予定していた走行パターンを理解していなかったサインエリアからの指示役が2周目に見当外れの指示を出してしまったため、ラップタイムは規定走行時間ペースを大幅に下回ってしまった。このため、3周目からは挽回するため、自動停止速度を限界まで上げざるを得ず、記録への期待は一層持てなくなってしまった。何とか6周目後半には、規定走行時間に間に合わせられるかもしれない状態に回復したのだったが、ゴールエリアに向かう分岐に入ると、前方で低速で走行するマシンを避けきれずにブレーキをかけざるを得ず、25秒のタイムオーバーとなってしまったのだった。

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一方のNP号Wは、途中で回路のフリーズ見舞われて再起動せざるを得なくなった。その対応のために速度がかなり低下してしまい、予定していた走行パターンがかなり崩れてしまっていた。このために、NP号Xと同様に挽回のため、自動停止速度を限界まで上げざるを得なくなってしまったのだが、我が部の至宝とも言うべき天才的ドライバーのFさんの機転によって、わずか5秒差で規定走行時間に間に合ったのだった。

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CNグループVの結果発表。

タイムオーバーなのは事前に承知していたが、失格ながらも1304km/L。

事前の想定をはるかに超える低温でもゴールまで駆け抜け、タイムオーバー失格ながらも1304km/Lを記録したことは、この5ヵ月の努力が報われた思いだった。

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一方のNP号Wも、後半は事前に予定していた走行パターンを大きく逸脱していたにもかかわらず、1604km/Lに収まったため、翌日に期待が持てた。

ただし走行後、回路のフリーズの原因を調べてもはっきりせず、怪しい箇所のハンダ付け等を修復して翌日に備えることにしたのだった。

また、この日の撤収前のミーティングでは、現役部員の動きの悪さに呆れていたOBの皆さんから、「自分の仕事をしっかり把握して、それをきちんと果たすように」といった主旨の話が相次いだ。

大会2日目も雲ひとつない好天に恵まれた。

この日もトラブルは収まらず、早朝からNP号X-ALの空燃比センサの不調に見舞われ、キャリブレーションを余儀なくされた。

車検を終えて、スタート前待機エリアに進むと、さすがに懲りたのか、その外で待機するべき部員達も揃っていた。

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そうした中でNP号X-ALのスタート。

順調なスタートだったが、前日に引き続き、サインエリアからの指示役が2周目に見当外れの指示を出してペースダウンしてしまったため、前日同様に3周目以降も、自動停止速度を下げることができなくなってしまった。

 

また、走行後にロギングデータを調べてみると、NP号X-ALでは2周目の途中から空燃比センサのエラーのため、我が部の生命線たるフィードバック制御や学習機能を利用できなくなっていたことがわかった。

本校チームのマシンでは、加速終了後に約10秒間、LCDに速度と空燃比の推移のグラフが表示される。左の写真はNP号Wの初回加速終了後のロギングデータから再現表示させたもので、横軸はエンジンスタートスイッチを押してからの経過時間(単位はsec)で、黄色は速度(km/h)、緑色は空燃比。

この画面をドライバーがきちんと見ていれば、空燃比のグラフが枠内には表示されなかったことから、空燃比センサの異常に気がつくことができたはずで、それに気がついて空燃比センサを再起動させていれば、正常な状態に戻すことができた可能性があった。しかし、ゴールに入るまでの間、十数回の加速が繰り返されたにもかかわらず、ドライバーはそれに気がつかないままだったのだった。

ここでも、部員の理解力不足が露わになったのだった。

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一方のNP号Wは、スタート直後にLCDのトラブルに見舞われた。LCDの再起動で危機は回避できたものの、トラブルの連鎖はここでも続いていたのだった。

写真は、NP号WとNP号Xのランデブーシーン。

NP号X-ALは、4周目以降は予定していた走行パターンを取り戻し、44秒の余裕でゴール。

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続いてNP号Wもゴール。

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そして、CNグループVの結果発表。NP号Xは1431km/Lで1位となっていた。

前日は53℃スタートの上、走行パターンも滅茶苦茶だっただけに、1500km/L程度を期待していたので、この日の記録には落胆させられた。しかし、空燃比センサのトラブルに気がつかないまま走行していたことや、前半の走行パターンのミスからすると、健闘したと言えるのかもしれなかった。

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グループVでは、NP号Wが1582km/Lで3位。

前日は、NP号X程ではないにせよ、走行パターンがかなり崩れていたのに対して、この日はほぼ予定どおりの走行パターンで走っただけに、前日の記録を下回ったことには愕然とさせられた。

ただし、我が部の記録の低迷はともかくとして、グループVの1000km/L超えは、コロナ禍前の2019年度には8チームだったのに対して、2022年度には4チーム、2023年度は3チームと減っていたが、2024年度にはCNグループVを含めて7チームまでに復活していた。

我が部は伝統的に順位を追い求めるのでなく、記録更新を目標に掲げきたのだが(この年までの3年間は完走を目標に変更せざるを得なかったのだが)、過去2年間は、入賞記録水準が大幅に下がっていたために、低記録なのに想定外の優勝に見舞われて困惑させられていた。それだけに、長野高専さんや金沢工業大学さん等が好記録を出されことはとても喜ばしく、CNクラスも含めてグルーブVがより活性化していくことを願うばかりである。

そして、表彰式。

CNグループVの表彰式では、S君(左から3人目)が表彰台に登った。

続くグループVの表彰式では、Fさん(左から5人目)。

例年表彰式では、それまでの経緯を忘れて、ある程度の達成感を得られていたのだったが、この年は違った。順位は全く無関係で、あれだけ出鱈目な走行を強いられた練習走行日に比べて、NP号Wの燃費記録が低下してしまっていたことの原因がわからないままだったために、悔しさだけしか感じなかった。

なお後日、NP号Wが「ラップタイム賞」を受賞したことが発表された。そんな賞が新設されていたことは迂闊にも気がついていなかったのだが、Fさんの的確な運転が評価されたことにはうれしさを禁じ得なかった。

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表彰式終了後には、OBの皆さんを交えての恒例の記念撮影。1列目がドライバーと部長、2列目が現役部員、最後列がOBの皆さんと顧問。

この写真に写っているのはOBの皆さんは10名ですが、:現役部員の参加者11名を上回る12名もの皆さんが応援に駆けつけて下さり、写真やビデオの撮影等にご協力いただいた他、寄付や差し入れも多数いただきました。ありがとうございました。

また大会2日目には、この写真には写っていませんが、本校校長土屋先生が激励に来て下さいました。30回目の出場にして、校長先生が全国大会に顔を出して下さったのは初めてのことです。ありがとうございました。

こうして全国大会は終わりました。

事前のシャシローラテストでNP号Wは好結果を残していただけに、チーム記録の更新を果たせなかったのは本当に残念でした。自分の役割を理解せず、右往左往するばかりの部員達では、仕方がなかったのかもしれません。また、この年はかつてない程、電装系統のケーブルやセンサの破損等に見舞われました。我が部は長年に渡って「信頼性と安全性の確保」を最重要視してきましたが、部員たちの意識の中でそれが薄れてきていることを突き付けられた一年でもありました。来年度は、部員達の意識を改革して、チーム記録を更新していきたいものです。

最後になりますが、日頃からお世話になっている三八五オートスクール八戸校さん、バイクショップヨシダさん、サイクルショップコアカザワさん、草創期からご支援いただいている武尾文雄先生やものづくりセンターの皆様(この年は特に飯塚さんにお世話になりました)、学生係をはじめとする本校教職員の皆様、そしてOBの皆様に改めて深謝の意を申し上げます。