2017年度全国大会

大会名称 本田宗一郎杯Hondaエコ マイレッジ チャレンジ 2017 第37回全国大会
日時 2017年9月30日、10月1日
場所 栃木県茂木町 ツインリンクもてぎ スーパースピードウエイ
BG号 記録 1668.235km/L
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校生クラス) エントリー74台中5位 入賞
NP号W 記録 1459.706km/L
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校生クラス) エントリー74台中6位 入賞

2016年10月の全国大会を終えると、CFRPモノコック車両であるBG号の後継機たるRS号の開発を凍結して、廃車となったステンレス鋼管製フレーム車両であるNP号Vの後継機たるNP号Wの開発に着手しました。カウルから新規設計していたのでは、2017年度の全国大会に間に合わせることは困難だと判断して、カウルはNP号V用のメス型を流用して再製作するとともに、シャシフレーム等もNP号Vの設計をベースに、近年その重要性が改めて再認識されつつあった剛性の向上を図ることにしたのですが、開発はなかなか捗りませんでした・・・。

カウルの製作作業は全国大会後直ちに取りかかれるはずだったのに、諸事情があって、その準備作業に入ったのは2月初頭までずれ込んだ。それからもカウル製作を経験したことがない部員が大多数を占めていたこともあって、作業はなかなか進捗せず、ようやくアンダーカウルの加熱成型を果たしのは3月13日のこと。しかも、真空引きに失敗して、前途多難を思わせた。

2ヶ月後に挑んだアッパーカウルの成型では、この経験を活かして成功してくれたものの、そこに至るまでの段取りの未熟さは深刻で、ぜひこの点も次に控えるRS号の製作に活かしてもらいたいものだと願わずにはいられなかった。

一方のシャシフレーム等の設計も難航を極めた。部品の製作は、2月中旬から順次着手していたが、ここでも製作に精通した部員の不足から、部品が揃ってシャシフレームの溶接作業に入ることができたのは5月末のことで、9月30日と10月1日に迫った全国大会に向けて、暗雲は一層深く垂れこめてきたのだった。
そうした中、希望を抱かせてくれたのが6月11日に実施したこの年最初の走行練習。場所は2009年度以来使わせていただいている三八五オートスクール八戸校さんの教習コース。

2台のマシンのドライバーは、2年前の経験者N君と新人Y君。走らせたのはBG号のみで、折からNP号Wの開発に全力を傾注してきていて、整備は万全とは言い難く、しかも前年度からの改良点はエンジンの燃料系統に限られていただけに、主目的はドライバーの習熟で、全く記録は期待していなかった。しかし、惰性走行性能は良好で、2人のドライバーの今後に期待する雰囲気が部内に醸し出された。

続く7月3日の走行練習は、予報通りの雨。ただし、雨がひどくなる前の走行では、BG号としては惰性走行距離がベスト記録とほぼ肩を並べ、足回りの調整が順調にいっていることを確認できたともに、ドライバーに雨中走行を体験してもらえたことから、収穫の多い走行練習となった。

走行練習を挟みながらも、毎日の活動はNP号Wの製作一色となっていた。そうした中で7月1日には、溶接作業の合間をぬって、シャシフレームにカウルを取り付けるためのねじ穴や、キャノピー等の穴あけ作業等を完了させることができた。

一方、溶接用の鋼管部品に比べて、その他の部品は製作精度が一段と要求されるが、その製作は信じられない程、失敗の連鎖が続いた。ほとんど製作ミスがなかった先代のNP号Vの開発時に比べて、製作技術が大幅に低下していることを改めて突き付けられた感があった。

シャシフレームの溶接作業、そして部品の製作作業が完了したのは7月13日の夕方。それから16日の走行練習に向けて組立調整作業に入ったのだが、燃料系統や空気圧系統の配管でミスが相継ぎ、ここでも技術力の低下を目の当たりに突き付けられる結果となった。それでも何とか走らせることができる状態にまで漕ぎ着けることができたのだったが、当日は早朝から雨。結局、この日の走行は諦めざるを得なかった。

ようやくNP号Wを走らせることができたのは8月21日。ここ八戸では2週間前から雨が続き、最高気温も20℃前後に留まっていたのだが、この日は幸いにも快晴に恵まれた。しかし、整備ミスもあって、NP号Wの惰性走行は振るわず、天の恵みを活かすことができなかったのだった。

続く9月4日の走行練習では、足回りの調整を抜本的にやり直して臨んだ。当初は前回よりも若干惰性走行距離が伸びただけに留まったが、そのうちに整備不良個所が見つかり、それを補修すると惰性走行は大幅に伸長した。ただし、先代NP号Vのベスト記録には5%程度劣っており、課題が残る結果となった。

一方のエンジンは、過去最良レベルの燃料消費量を驚くべき再現性で記録し続け、約1ヵ月後に迫った全国大会に向けて期待が高まった。

なおBG号は、トラブル等もあって満足に走らせることができず、わずかに走らせることができた結果も納得のいくものではなく、この点も今後の課題として突き付けられた。

全国大会前最終となった9月18日の走行練習。NP号Wは塗装が完了したばかりでなく、エンジンもようやくまとまった実験ができるようになって、台上で燃費性能向上を確認できていた。それだけに期待も大きかったのだが、台風18号の接近により、走行練習を実施できるのか危ぶまれるようになった。しかし幸いにも8時半頃には、夜半から降り続いていた雨も上がり,青空が広がった。そこで練習場へ出向くことにしたのだが、慣らし運転が終わり、いざデータを取ろうというときになって、暴風が吹き荒れるようになって走行は中断。結局、暴風は収まることなく、八戸では観測史上最大の41.7mの瞬間風速を正午過ぎに記録する有様で、データは1回たりとも取ることができないまま撤収せざるを得なかった。

この年は開発の遅れから走行練習は6回しか企画できなかったのだが、天候に恵まれず、まともに走らせることができたのは3回のみ。こんなに少なかったのは2001年度以来のことで、足回りの調整がうまくいっているのか確認できないまま、全国大会に臨むことになったのだった。

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9月29日、全国大会へと出発。

予報では大会2日間とも降水確率が0〜10%と低く、チーム記録を更新するには絶好の機会と思われた。

そして迎えた大会初日。

テントを設営すると、ドライバーはコースウォーキングに出かけた。

一方ピットでは、マシンに回路を取り付けて電源を投入したところ、エラーメッセージが表示されて、大慌て。調べてみると、複数ある回路間の通信を担うコネクタがきちんと締められていなかったことが原因と判明して事なきを得たが、これが前代未聞のトラブル連鎖劇の幕開きとなったのだった。

車検ではNP号Wのトランスポンダが上下逆に取り付けられていることを指摘されて再車検を命じられた。こんなことは初めてで情けない限りだったが、もっと残念だったのは、トランスポンダの取り付け直しに備えて資材をピットから持って来るように部員に指示したのに、再車検エリアに行ってみると誰も待機していなかったこと。当該部員が待機していたのは、車検に合格した後、マシンを台車に載せる予定だったエリアだった。合格しないと行けないエリアで待っていたのでは何の役にも立たない。

仕方なく、有り合わせの資材でトランスポンダを付け直して再車検に合格することはできたものの、部員たちが公式通知等をしっかり読み込んでいなかったことが露呈された形となった。

公式燃料タンクの供給を受けてピットに戻ってみると、燃料タンクのステイが、日常的に燃料タンクとして使用しているメスピペットに合わせた位置のままになっていた。慌ててステイ位置を修正するが、BG号では、チェックバルブ近辺の硬質の燃料チューブが折れ曲がっていることが判明。あわてて交換したものの、ろくに暖機運転できないまま、スタート前待機エリアに向かうことになった。このチューブのトラブルも、事前にシャシ担当が指摘していたにもかかわらず、エンジン担当が問題なしと安易に判断して見過ごしていたことに起因した人災だった。
スタート前待機エリア入場時刻は12時20分〜30分と指定されていたが何とか間に合った。すぐさま暖機運転を始めるが、12時30分になると、オフィシャルに燃料微調整に進むように促される。「まだ暖機中です。少し待っていただけませんか」と言うと、「スタート前待機エリアにいられるのは12時30分までです」との答え。

従来は公式通知に記されたスタート前待機エリア入場時刻は、あくまで入場時刻であって、それを過ぎれば即座に燃料微調整に進まなければならないという運用ではなかった。2010年度に「エコノパワー燃費競技全国大会」から「エコ マイレッジ チャレンジ 全国大会」に変わって、運営主体も変更になって以来、それまでの参加者に対する優しい気遣いが消えて、大会を遅滞なく進めることを重視する姿勢が顕著になっていた。今回の事例もその一端だろうが、それを抗議しても受け入れられないことは過去の事例から明らかだったので、仕方なく暖機運転を中止して、燃料微調整に進まざるを得なかった。

ところがその燃料微調整段階になって、2台ともエンジンの始動ができないトラブルに見舞われた。後刻判明した原因は2台とも回路の接触不良にあったのだが、燃料微調整エリアではとても原因は解明できず、幾度かエンジンの始動を試みているうちに接触が回復したらしく、何とかスタートラインに向かうことができたのだった。

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NP号Wは無事スタート。約6分後にBG号も続いた。

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NP号Wは、当初設定していた走行パターンでは規定走行時間ペースをぎりぎり上回るのがやっとで、3周目からは自動停止速度を上げざるを得なくなった。

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BG号は惰性走行が良好で、規定走行時間ペースをかなり上回る走行を続けた。周回の都度、自動停止速度を下げていったものの、5周目を終えた段階で余裕時間は87秒にも達していた。

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そして、2台ともゴールへ。

NP号Wは自動停止速度を上げたまま走り切って、規定時間に対する余裕時間は40秒。7周目はペースダウンしても良かったのだが、ぎりぎりの走行をしていたドライバーには、そこまでの判断をする余裕はなかったのだろう。

一方のBG号は、ペースダウンを続けたものの、65秒も余してゴール。ペースダウンを始めた時期やその程度について、課題が残る結果となった。

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練習走行の結果発表。

NP号Wは1706km/Lで3位、BG号は1675km/Lで5位。

2台ともスタート前待機エリアでの暖機が不十分だった上に、燃料微調整段階での始動不良によって、すっかりエンジン冷え切ってしまった状態からのスタートだったことからすれば、翌日の決勝に向けてエンジンの効率向上の期待が持てた。ただし惰性走行性能は、BG号がほぼポテンシャルを発揮したと思われたのに対して、NP号Wは先代のNP号Vに比べて物足りなさが残る出来で、地元での走行練習でセッティングを煮詰められなかったことが露呈した形となった。

この結果を受けて、まだ明るいうちに宿泊先に戻って、NP号Wをトラックから降ろして整備し直すことになった。前後輪のハブの整備を宿泊先で行うのは恒例だが、マシンを外に降ろして整備するのは、初参加時以来のこと。

宿泊先での整備は、それまでは場当たり的だった我が部の足回りの整備に関して、定量的な整備方法を確立してくれた5年生2名が言い出したことから認めたのだが、整備のペースになる走行練習のデータの不足していたことから、幾ら百戦練磨の彼らと言えども、かえって悪化させてしまうのではないかとの一抹の不安もあったのだが、彼らの技量と意欲に賭けてみることにしたのだった。

翌10月1日の決勝当日は.予報どおりに早朝から快晴に恵まれた。
順調に暖機運転やシャシローラテストを済ませて一息ついた後、スタート前チェックに向かう前に暖機運転を始めようとする段階になって、またしても2台ともエンジンの始動ができなくなった。前日に燃料微調整段階で発生したトラブルの原因を突き止められずに対策できないままでいたために、再発したものと思われた。

幸い、2台とも回路の接触不良個所を見出すことができて、これを修復して事なきを得たが、このうちBG号のそれは早朝の回路取り付け段階で、担当者が注意していれば見つけることができた箇所のもので、ここでも部員の点検姿勢の欠如があらわとなった。

しかしこの後、スタート前チェックに備えて断続的に暖機を続けていると、NP号Wのエンジンが再び始動できなくなった。接触不良個所を修復してからはどこもいじっていないので、別の箇所に接触不良が発生したものと判断して点検したが異常は見い出せなかった。

仕方なく、アイドリング時の燃料噴射時間を伸ばして、スタート前チェックに進む。スタート前チェックは通過したものの、ピットに戻ってから必死に始動不良の原因を探ったが、結局原因は突き止められなかった。

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そうした中で、まずBG号がスタート。

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NP号Wがちょうど1分後に続く。

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BG号は前日にも増して惰性走行性能が良好だったが、前日の経験を活かしたドライバーは、早めに自動停止速度を下げて対処してくれた。

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NP号Wの惰性走行も前日よりは改善されていた。BG号でも改善されていたことからすれば、気象条件に恵まれたこともあろうが、BG号よりも改善代は大きく、前日の夕方に宿泊先で整備し直した効果が出ているものと思われた。

しかし、NP号Wのドライバーはほとんどペースダウンすることなしに走り続けた。新人ドライバーならではの緊張が、冷静な判断力を失わせたのだろう。

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BG号に続いて、NP号Wもゴールへ。

1分遅れでスタートしたNP号Wが、BG号にわずかに遅れてゴールに向かってきたのを目の当たりにした瞬間は、我が目を疑わざるを得なかった。

BG号の余裕時間は33秒だったが、NP号Wは6周した時点で70秒もの余裕があったのに、最後の周回では更に自動停止速度を上げて、90秒もの余裕でゴールしたのだった。

ただし、地元での走行練習不足を思い返すと、ドライバーを責めることはことはとてもできなかった。運転に習熟して、適切な走行パターンを選択できるような精神的な余裕を与えることができなかった我が部全体の責任と言えた。

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そして、結果発表。

BG号はマシン記録を更新して1668km/Lだったが、NP号Wは1459km/Lと惨敗。前日よりも惰性走行性能は改善していただけに、NP号Wの記録は驚天動地だったが、後日調べてみると点火プラグがきちんと締められていなかったことが原因と判明した。

過去の全国大会で幾多のトラブルを発生させてきた我が部にとっても、ここまで初歩的なトラブルに見舞われたのは初めてのことだった。近年、足回りの整備力が飛躍的に伸長した一方で、エンジン部門の整備力低下が日頃から散見されてきていたが、それがそのまま全国大会で露呈したということだった。

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OBの皆さんを交えての恒例の記念撮影。

この年も11名ものOBの皆さんが応援に駆けつけて下さいました。

この年の全国大会は、技術面、運営面ともにかつてない程、トラブルの連鎖を繰り広げた大会でした。我が部が活性的だった頃は、部員が互いにチェックする体制が整っていたのですが、数年前からそうした姿勢が失われ、この年はそれが日常の活動でも顕著になってきていました。それがそのまま全国大会で露呈しただけのことで、トラブルの連鎖は運が悪かったと言うべきものではなく、我が部の現状を反映したものだったのです。部員の意識改革なしに記録更新はありえないと改めて痛感させられた大会でした。