2010年度全国大会

大会名称 本田宗一郎杯Hondaエコ マイレッジ チャレンジ 2010 第30回全国大会
日時 2010年10月9日、10日
場所 栃木県茂木町 ツインリンクもてぎ スーパースピードウエイ
NP号U 記録 リタイア
順位  
BG号 記録 1109.065km/L
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校クラス) エントリー101台中5位 入賞

2009年度は、我が部初となるCFRPモノコック車両BG号の開発に忙殺される中で、大会に出場させる2台のマシンは目ぼしい改良点もないまま全国大会に臨まざるを得ませんでした。小手先の改良と調整でなんとかチーム記録を更新できたものの、更新幅はごくわずかで、こうした状況を打破するには早期にBG号を完成させ、エンジンなどの改良にじっくり取り組む余裕を確保することが必要と判断されました。

ところが、全国大会終了直後には12月としていたBG号の完成目標は、ずるずると延び続けて、ロアパネルの成型は2月まで縺れ込む有様。シャシ製作、アッパーカウルの製作と、BG号の完成にはまだまだ壁が立ちはだかっており、危惧ばかりが募る中で新年度を迎えることになりました。

ロアパネルへのサンドイッチパネルの接着がようやく完了して、エンジンや操舵系統などの部品を取り付けて、ドライバーに乗車してもらったのは4月20日。

初めてのモノコック車両ということで剛性確保を重視して設計したことが功を奏して、剛性が十分なようだったのは幸いだった。

ただし、課題は山積しており、いったいいつになったら試運転が行えるのか見当もつかない状況だった。

結局、校内での初試走に漕ぎ着けることができたのは、それから約2ヶ月後の6月10日。まさかこんなに時間を要するとは予想だにしなかった。

しかし、これで課題が全て解決できたわけではない。校内試走用に暫定的な仕様で片付けた部位は少なくなく、約2週間後に控えた走行練習に備えて、こうした部位の改良が急がれた。

BG号として初の走行練習は6月27日。練習場は前年度に引き続き、「三八五オートスクール八戸校」さんの教習コース。

直前まで製作作業に忙殺されたため、整備はおざなりとなっていた。このため、燃費データは最悪。しかも、期待された惰性走行試験でも、シャシの整備不良に起因して、前年度の全国大会直前に比べて約30%減という有様で、データを取る価値は見出せず、午後1時過ぎに走行練習を打ち切らざるを得なかった。

整備力が最悪だった2年前と同様の結果で、前途多難を予感させられた。

BG号の開発に追われる一方で、現行型のNP号Uの改良は手つかずのままだった。初の走行練習後、NP号Uのキャブレターを、新型スーパーカブ50用の燃料噴射弁に置き換える作業が本格的に始動した。

スーパーカブ用だけでなく、DCP式にも対応できるよう開発した新型メイン回路は、機械系部品に先行して製作を進めていたのだが、紆余曲折があり、その機能を活かしてBG号での実験に取り組むことができるようになったのは7月17日のことだった。

新型回路の特徴のひとつは、空燃比センサの出力信号と、燃料噴射時間から、充填効率の推定値を算出できるようにしたこと。単気筒ということもあって、空燃比センサの出力信号の変動は大きく、それに基づいて算出された充填効率の値は絶対的には信用できそうにないものの、吸排気系統の仕様の相対的な比較検討には役立てられるのではないかと期待して、こうした機能を付与してみたのだった。

これまでは、吸排気系統について評価する術がなかっただけに、この日開始した比較検討実験には大きな期待を寄せた。しかし、いろいろとトラブルが発覚して、シャシローラでの実験もままならず、仕様を煮詰めることができないまま、2回目の走行練習を迎えざるを得なかった。

そこで、7月26日の走行練習では、空燃比センサを実車搭載して、ぶっつけ本番で吸気系統の比較実験を行った。

充填効率向上効果は想定を遥かに超えたものだったが、それ故に現場での燃料噴射時間の調整が追いつかず、しかも前回同様エンジンやシャシの整備が不十分だったこともあって、燃費データとして結果を出すことはできなかった。

また、翌朝行った重量測定で、BG号は前年全国大会時のNP号Uに比べて7kgも上回っていることが判明した。初めてのモノコック車両ということで、剛性確保を重視して開発を進めてきたため、軽くなるとは期待していなかったものの、これほどまで重くなっていたとは思いもよらず、愕然とするばかりだった。

一方、NP号Uの電子制御燃料噴射化で最大の難関と目されていたのがインテークマニホールドの製作。NCフライス盤の操作を熟知した5年生のT君が担当したにもかかわらず、約10日間を要した。

ようやく単体での動作確認ができ.るようになって驚愕したのは、気泡発生量の多さ。「FCデザイン」さんから購入した燃料ポンプのマニュアルに、「低回転域でのPWM駆動はエア噛みの原因となる場合がある」と書かれていたものの、まさかこれほどとは想定外で、まずは燃料ポンプの適切な駆動方法を見出すことから始めなければならないことを思い知らされたのだった。

後日、WEB上で公開されている、「FCデザイン」さんのエコラン用インジェクションシステムのマニュアルを見たところ、燃料ポンプの駆動方法について、ほとんど答えとも言うべき記述があるのを発見したが、当時はそこまで気が回らず、駆動方法の確立には数日を要した。

それを受けて、噴射弁単体の特性を調べる実験を開始したのは7月27日。通電時間と燃料噴射量の関係は非常に素直で、DCP式のように電源電圧に敏感に反応しないことがわかったのも幸いだった。

8月1日、BG号のアッパーカウルの塗装を済ませて臨んだこの年3回目の走行練習。

初回の走行練習以来、惰性走行距離が従来型に比べて短いことが悩みの種だったが、ようやくこの日の練習中に原因が判明して対策を施した結果、従来型並の惰性走行距離を記録するようになった。約2年間かけて開発してきたのに、従来型並では困るとは言うものの、設計や製作に重大な見落としがあったのでないかと煩悶する日々が続いてきただけに、本当に安堵させられた。

ただし、エンジンの不調は続いており、改良の効果が現れるどころか、前年度の最終段階に比べて燃料消費量は5〜8%も増大する有様。BG号の開発が遅延し、それが一段落したと思ったら、従来型のNP号Uの電子制御燃料噴射化に追われて、整備に工数を割けないことが最大の原因と思われたが、2ヵ月後に迫った全国大会までにこうした状況を打破できるのか心配の種は尽きない。

8月4日、ようやくNP号Uのエンジン始動に成功。翌日には、DCP式の燃料噴射量とほぼ同等になるように燃料噴射時間を調整してシャシローラで実験したところ、まともに加速することも確認できた。

とは言え、大会まで残されているのは2ヶ月余り。DCP式では、使いこなせるようになったと言えるようになるまで約3年を要した。DCP式で得たノウハウがあるとは言え、2ヶ月でどこまでセッティングを煮詰められるのか。

この年4回目となった8月23日の走行練習。NP号Uが加わって、2台揃って走れるようになったことはプラス材料だったが、前回の練習で前年度並みまで回復した惰性走行性能は、再び最悪レベルまで低下してしまった。

唯一収穫と言えたのが、NP号Uの燃料消費量の再現性が極めて高いことが判明したこと。調整を効率的に推し進めていくには好材料だったが、残された期間はわずか1ヶ月半で、走行練習もあと2回しかない。

ところが、5回目の走行練習を目前に控えた8月26日、27日には、エンジンが始動できなくなるなどのトラブルが相継いで発生。このため、またしてもシャシローラでの燃料噴射時間の調整ができないまま、8月29日の走行練習に臨まざるを得なくなった。

そのあげく、走行練習当日には、NP号Uが回路トラブルでアイドリングすらままならない状況に陥って、全く走ることができなかった。原因はフロント回路とメイン回路とを繋ぐシリアル通信のエラー。2004年度からこの方式を取り入れて以来、ごく稀にエラーが発生することはあったが、この日のNP号Uのように頻発したのは初めてで、帰校後の調査でもなぜそうなったのかは不明のままだった。仕方なく、通信エラーが起きても、その影響が波及しないように小手先の対策を採るしかなかった。

一方のBG号も、いろいろとトラブルに見舞われたが、陽が傾きかけた頃になると、この年の走行練習での最高燃費を連発するようになった。ただし、前年度の最終盤のNP号に比べるとまだ5%程度劣っており、それを喜べる状況にはなかった。

そこで、前期末試験による約2週間の部活動休止期間を終えると、連日シャシローラでのテストに邁進した。その結果、紆余曲折はあったものの、やがて、BG号は前年度のNP号の燃料消費量を20%弱低減する記録を安定して叩き出すようになっていった。調整時間が決定的に不足していたNP号Uも、10%程度低減するレベルに何とか漕ぎ着けることができ、全国大会前最終となる9月27日の走行練習に向けて期待も膨らんだ。

ところが、走行練習を目前に控えて、BG号で深刻なエンジントラブルが発生した。燃料系統のチューブを交換した際に、汚れがないかの確認を怠っていたため、燃料噴射弁内にダストが混入してしまったことが原因で、その対応に四苦八苦する中、さらにNP号Uでもエンジンの始動すらできないトラブルが発生して、追い討ちをかけた。

土壇場までトラブルに見舞われ続けた2年前といよいよ同じ様相を呈してきた。

そして迎えた9月27日の走行練習。この年は、全国的に猛暑に見舞われ、ここ八戸でも36.7゚Cという観測史上最高気温を記録し、9月に入っても猛暑日が続く有様だったが、4、5日前からぐずついた天気になって、最高気温は20゚Cを下回っていた。この日は久しぶりに晴れて、23゚Cまで達したものの、すっかり秋らしくなっていた。

まず走らせたのはNP号U。直前にトラブルに見舞われていただけでなく、2007年度に開発して以来、地元での走行練習でその実力を発揮したことがないという困った性癖を持つことから、期待はしていなかった。しかし、前年度の最終盤のNP号の燃費記録を10%程度更新する快調な走りを見せた。

一方のBG号は、この年の走行練習における燃料消費量の最悪値を大幅に更新して、それを連発する有様。最早、燃料噴射弁を交換する以外に対処方法が考えられず、帰校するとさっそく発注したのだった。

9月30日に燃料噴射弁が届くと、まずは燃料噴射特性の測定。これまで使用していたものとの固体差はわずかで、燃料噴射時間の設定を変更する必要がなさそうだったのは、全国大会を目前に控えて、九死に一生を得た思いだった。

しかし翌日、新しい噴射弁を装着してシャシローラで実験してみると、燃料消費量は9月中旬の記録に比べると大幅に悪化していた。このため、エンジンの整備をやり直し、全国大会出発の2日前まで実験を繰り返したものの、完全に復調したと言えるレベルには戻らなかった。

思い返せば、前年度の全国大会直前にトラブルに見舞われた際、来年こそはこうならないようにしたいと考えていたら、部長でエンジン担当のT君に、「来年もきっとこうなりますよ」と言われたが、正にそのとおりとなったのだった。

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10月8日、いよいよ全国大会へと出発。

天気予報によれば2日とも雨になる公算が高かった。

例年、全国大会出発の前夜に蟹を食してきた顧問は、「今回は一昨日から2日連続して蟹を食べて、晴天を祈願した」という。蟹と晴天がどういう因果関係にあるのかさっぱり理解できないが、毎度のことなので軽く聞き流して新幹線に乗車。

そして、大会初日。

午前5時40分頃ホテルを出て、会場に向かう道すがら、雨がポツリポツリと降り始めた。

大会会場に着いてからの設営作業も、小雨の降る中で行われた。

設営作業がひと段落すると、排気管に空燃比センサを取り付けて、シャシローラでのテスト。

エンジンは快調な吹け上がりを見せ、燃料消費量もほぼいつもどおりとあって、安堵感が漂う。

データロガーで採取したデータをノートPCで確認。

問題なさそうに思えたのだが、実は重大な見落としがあった。

シャシローラでのテストが終わると、雨対策一色。

撥水剤の塗布やら、防水仕様となっていないフロント回路をあらかじめ準備してきたビニール袋で包んだりなど、総力を挙げて雨対策に勤しむものの、地元での走行練習も含めて本格的な雨中走行を経験していない部員ばかりで、決して手際が良かったわけではなかった。

ところで、この年から大会名称が変更され、運営ルールも大幅に変わった。

その一環として、ゼッケンが大会初日に配布されることになったのだが、ゼッケンやトランスポンダの配布から車検開始までの時間がわずか15分しかないというのは酷としか言いようがなかった。

そして、あわただしく車検に向かう。
運営ルールが大きく変わったこの大会での最大のヒットがブレーキテスト。

ブレーキテスト台の前にスロープが設けられ、マシンを持ち上げて運ぶ必要がなくなった。

雨がいっそう激しさを増す中で迎えた、午後の公式練習。

従来は午前中にウォームアップ走行2周があったのだが、運営をスムーズにするためかこの年は廃止された。経験を積んだドライバーが乗車するチームはともかく、この年の我が部のようにドライバーが新人の場合、コースを体験させる貴重な機会だっただけに、残念!

また、スタート前待機エリアに入れる人数も、1チームあたりドライバーを含めて3名に制限された。これでは、トラブルが発生した場合の対応が間々ならない。ぜひ見直しをお願いしたい。

 

それはともかく、雨の降りしきる中でのスタートは、前途多難を予感させた。

 

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NP号Uは1周したものの、エンジンが始動できなくなって停車を余儀なくされた。

携帯電話による連絡を受けて、いろいろと指示を出したものの、ドライバーはそれを実行する術を知らず、結局リタイアするしかなかった。新人ドライバーなのに、開発の遅れから、地元でわずか2回しか練習させることができなかったつけが回ってきた感は否めなかった。

ピットに戻ってから、この日の朝、シャシローラで測定したデータを見直してみると、低回転域の空燃比が薄くなり過ぎていたことが判明した。ピットでは吹け上がりに問題はなかったのだが、雨中走行でエンジンが冷えてしまって、始動できなくなったものと思われた。充填効率の変化が大きい3000rpm以上で、空燃比が一定に保たれているのかを確認することに捕らわれ過ぎて、低回転域のチェックがお座なりになっていたミスに起因したトラブルだった。

さらに、バッテリのトラブルもそれを助長していたようだった。

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一方のBG号は、周回を重ね続けたものの、25km/hという規定走行ペースに大幅に遅れる有様で、タイムオーバーは確実と思われた。

しかし、昨年度の全国大会決勝で、残り1周の時点で30秒も遅れていたにもかかわらず、機転を利かせてわずか5秒というすれすれのタイムで制限時間内完走を果たしてくれた名ドライバーN君は、視界不良で運転することすら困難なのに、その中でまたも沈着冷静な判断力を示してくれた.

自動停止速度を細かく変えたり、普段試したことのない再始動速度まで上げたりと、悪条件の中で驚嘆すべき操縦をやってくれたのだった。

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最後にはゴール直前で再始動してそのままゴールに突入したものの、その数十m先にあるシケインに衝突してしまった。幸いマットが壁面に取り付けられていたため、事なきを得た。

OBのSさんが撮影して下さったビデオ映像を見る限り、ゴール後すみやかにブレーキをかけて、安全上問題ないレベルまで減速していた。ただし、左側を走行していたマシンの進路を妨害しないようにと遠慮しているうちに、シケイン前で左折する機会を失ってしまったのだった。

もっとも、それ程の運転にもかかわらず、規定走行時間に間に合ったのかどうかは微妙なところだった。

それにしても、「翌日の決勝が本番なのだから、決して無理をしないように」と言い置いていたにもかかわらず、N君が発揮した完走への執念は凄まじいものがあった。「記録よりもまずは完走」という我が部のDNAが引き継がれていることを証明した走りと言えた。

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普段やっていないことをこれほどやり尽くしてゴールしたのだから、規定走行時間に間に合っていたにしても、BG号の順位はせいぜい10位ぐらいなものだと確信しつつ結果を見に行くと、グループVのエントリー101台中制限時間内に完走したのはわずか20台で、その中で第1位になっていた! しかし、それよりも驚かされたのは、規定走行時間39分20秒110に対して、走行時間は39分20秒088で、余裕はわずか0.022秒。平均速度は25.000km/h!

翌日の決勝に備えて、雨対策が不十分だったチームが無理をせず、賢明にも早めにリタイアを選択したことが、結果として我が部に1位をもたらしたことは確かで、我が部にはコンディションの良い日に1位をとるだけの実力はない。それだけに、部員の間には、1位になったことを喜ぶよりは、ドライバーへの賛嘆とともに、チーム一丸となって取り組んだ雨対策が功を奏し、完走させることができた達成感の方が充溢していた。

その夜のOB会。この会には、初日のトラブルが何よりの酒の肴という悪しき伝統があるのだが、後輩たちが1位になってしまったことに呆気をとられて、当初は沈黙が支配する有様。やがて、盛り上がりを見せて夜半過ぎまでOB会は続いたが、その間も雨は降り続いた。

大会2日目の朝になっても、雨は降り止まなかった。

会場に着くと、雨対策に忙殺されるが、前日の経験が活かされて、部員たちが活発に意見交換しながら作業を進めていく様子は、この年の特徴であったチームワークの良さを象徴するもので、我が部の決して短くはない歴史を振り返ってみても、最高の瞬間のひとつと言えた。

グループT(中学校クラス)がスタートする9時頃になると、雨も上がり、遥か彼方に青空も展望できるようになった。

顧問は、

「2日連続で蟹を食べた効果だな」

とひとり悦にいっていたが、そんな言葉に耳を貸す部員はいなかった。

スタート前チェックは問題なくクリア。

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10時頃になると、日差しに恵まれるようになってきたが、路面はウエットのまま。後は、早く路面が乾いてくれることを願うばかりと思いきや、決勝スタートの直前、燃料微調整で、2台ともにクレームがつく。

エンジンを始動させて、燃料タンクの液面が下がっていくのを確認するテストの後、例年のように「エア抜きをさせて下さい」と申し出たところ、「エンジンを回すとエアが発生するのはおかしい」との指摘されたのだった。

NP号Uは、新型カブ用噴射弁に燃料ポンプとプレッシャーレギュレータを組み合わせたシステムで、燃料ポンプを低周波数PWM駆動することにより、エアの発生を極力抑えたつもりだったが、そんな訴えはオフィシャルには届かない。

一方のBG号は、後輪クラッチが入らないトラブルが発生して、発進できなかった。このトラブルは簡単に解決できたものの、再スタート前の燃料微調整で、やはり同様の注意を受けた。頑迷なオフィシャルの姿勢の前に、DCP式噴射弁では原理的にエアは発生すると訴えても仕方がないと諦めるしかなかった。

結局2台とも、再三に渡ってエンジンの始動を求められたあげく、エア抜きをさせてもらえないまま、燃料微調整を終えることになった。

エアの発生は当方に非がある側面も否定できないが、その分走行後のエア抜きはきっちりやってきたという思いがある。我が部のマシンの実力は1000km/Lを幾らか超える程度なので、エア抜きの有無が燃費記録に大きな影響を及ぼすわけではないが、年一回、自分たちの実力を測る機会なだけに、こうした対応は残念な限りだった。

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それはともかく、2台のマシンは無事スタート。

NP号Uは、前日のリタイアを受けて、低速域の燃料噴射時間を増やしたことが功を奏して、順調に周回を重ねる。

しかし、6周目にパンクのためリタイアを余儀なくされる。

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本命と目していたNP号Uのリタイアを受けて、BG号の周回を見守るサインエリアでは、沈痛な空気が支配する。

そんな中で、BG号は例年よりも自動停止速度を上げるように指示してあったにもかかわらず、周回ペースは規定速度ペースにほとんど余裕がないままに終止した。

目の前のホームストレートはほとんど乾いているように見えたが、まだ濡れたままの箇所もあるのだろうと推察するしかなかった。

ところで、上の写真は、過去の大会にはなかったアングルで撮られている。今回は、マシンが走行するコースのすぐ外側が解放され、そこから撮影したものだった。

身近でエコランを楽しんでもらいたいという大会事務局の配慮が伺える粋なはからいだった。

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ただし、サインエリアでBG号の走行を見守る私たちには、そうした配慮に気がつく余裕はなかった。

BG号が無事ゴールへ入る姿を見て、ようやく安堵の胸をなでおろしてから、そのことを知ったのだった。

ゴール後の燃料タンクの取り外し。

いつになく慎重にエア抜きを求められる。

こうした姿勢は歓迎だが、走行前のエア抜きを拒絶されたことを考えると、正確な燃費計測を追求する姿勢にばらつきを感じざるを得ない。

参戦18年目にして初めて車両保管を告げられて、好記録が出たものと想像したが、それはぬか喜びに終わった。燃費を計算してみると1109km/Lと、チーム記録の1177km/Lには程遠い記録だった。

路面やタイヤが濡れていたことが原因と思われたが、ドライバーによると、

「バックストレートの一部で路面が濡れている影響を感じたぐらいで、全般的には惰性走行が特に悪化しているとは思わなかった。後輪クラッチが入らなかったトラブルが2回あったものの、エンジンの吹け上がりも良好だった」

とのこと。

どうしてこれほど記録が伸びなかったのか原因はわからなかった。

リタイアしたNP号Uは、ピットに戻るとタイヤの点検。しかし、パンクした原因を特定できず、そのまま放置されていた。

そのNP号Uに興味を持ってくれたのが、卒業生カップルの3人の子供たち。

「コックピットに乗ってごらん」

と言うと、大はしゃぎ。

その様子は、チーム記録を更新できず、しかも1台はリタイアという傷心を負っていた私たちを大いに癒してくれた。

「これからも、ご両親と一緒に、毎年観戦に来てね!」

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そして、結果発表。

前年度の結果から類推して10位前後と予想していたら、過去最高の5位。2日続けてのうれしいサプライズで、部員たちにも笑顔が溢れた。

従来は結果が掲示板に貼り出されるだけだったのに、今回からは印刷物が配布されるようになったのはありがたかったが、それをじっくり見てみると、前年度に比べて全般的に燃費記録は低下しており、やはり路面が濡れていた影響はあったのだろうと思わざるを得なかった。

後日、データロガーで採取したデータを解析したところ、バックストレートでの惰性走行が目に見えて悪化していたことがわかり、ドライバーの証言とも合致していた(データロガーのページ参照)。

また、OBのSさんが撮影して下さったビデオを見ると、スタート直後は、ホームストレートの一部を除くと完全なウエットだった。次第に乾いてきたものの、ゴールする時刻まで、濡れている箇所はあちこちに残っていた。

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恒例の記念写真。

現役部員8名に対して、この年も15名ものOBの皆さんが応援に駆けつけて下さり、様々な点でご協力いただいた。

なお、この年から、ゴール近くに設置されていたステージが遠方に移動したため、撤収直前のピット前での記念撮影となったが、少し寂しい感は否めなかった。ぜひ、記念写真用のステージをゴール付近に復活させていただきたい。

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大会から2週間後、5位入賞の楯が送られてきた。

従来は、閉会式で直接手渡す制約から、順位が記されただけの素っ気ないものだったが(写真左)、今回はチーム名と記録が刻印されており、その分重みが感じられた。

再三述べてきたように、この年は運営方法が大きく変わり、大会前は危惧が先立ったが、終わってみると改善点の方が目立ったのは幸いで、大会事務局のご努力に敬意を表したい。

ただし、グループVのエントリー台数は、2007年度の127台から漸減傾向にあり、遂に101台になってしまった。こうした傾向を打開するための方策も、ぜひ講じていただきたいものである。

この年は、2台とも完走させることを最低限の目標にしてきましたが、残念ながらそれを果たすことはできませんでした。過去2年間は、部員個々の責任感や積極性、そして考えようとする姿勢の欠如が、結果としてリタイアに繋がったという感じで、やりきれない思いでいっぱいでした。しかしこの年は、前年度までに比べて部員個々の技術力は劣るものの、それをチームワークで補った感がありました。そのため、チーム記録を更新できなかったばかりか、1台がリタイアしたにもかかわらず、落胆の度合いは小さなもので済みました。

このチームワークを武器に、来年こそは2台とも完走させるとともに、チーム記録を大幅に更新したいと思って、会場を後にしたのでした。