2007年度全国大会

大会名称 第27回本田宗一郎杯Hondaエコノパワー燃費競技全国大会
日時 2007年10月6日、7日
場所 栃木県茂木町 ツインリンクもてぎ スーパースピードウエイ
NP号 記録 988.642km/L チーム記録更新
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校クラス) エントリー127台中8位
NP号U 記録 1133.255km/L チーム記録更新
順位 グループV(大学・短大・高専・専門学校クラス) エントリー127台中6位 入賞

エコラン初参戦以来の夢だった1000km/L。しかし、1000km/Lは遥か彼方の存在であり、具体的な目標にはなりえませんでした。ところが、2006年度に936km/Lを記録したことで、この年は初めて目標として1000km/Lを掲げて、全国大会に臨むことになりました。夢の達成を担うのは前年度に開発したNP号と、新型車のNP号U。NP号の課題であった電子制御燃料噴射システムの改良と調整は、3月までにほぼ完了し、後は走行練習で煮詰めていくだけとなりました。NP号Uの開発も順調に推移し、3月までにシャシが完成しました。そこで、八戸港ポートアイランドでの初の走行練習も、例年に比べて約2ヶ月も早い5月12日に計画することにしたのですが、4月に入ると整備力の低下に起因したトラブルが相次ぎ、特にゴールデンウィーク中はトラブルのオンパレード状態で、その日エンジンが回っても翌日は回る保証がないという有様。果たして、全国大会までに整備力を回復させることができるのでしょうか・・・。

ゴールデンウィーク中のトラブルはいったん解決を見た。しかし、1回目の走行練習の前日になって、NP号のエンジンが始動しない非常事態に見舞われる。八方手を尽くして調べてみたが原因は不明で、仕方がないので、燃料供給装置をキャブレターに換えてみたところ、エンジンは始動するようになった。ただし、燃費記録は惨憺たるもので、2、3回データを取っただけで練習は打ち切りとせざるを得なかった。

学校に戻ってから調べたところ、カムスプロケットの取り付けが180゚狂っていたことが原因と判明した。これでは、点火火花が飛ぶのは排気行程の最後になってしまい、エンジンが回るわけはない。ただし、キャブレター対応回路は、カムスプロケット用近接センサの信号を使わないのでエンジンが始動できた次第。

この日、唯一の収穫は、NP号Uのシャシの評価ができたこと。ドライバーによると、剛性アップが体感できたということで、設計の狙い通りの結果にひと安心。
NP号Uの燃料供給系統は、キャブレターと電子制御燃料噴射とを比較して選定することにしていた。ところが、NP号にキャブレターを装着して走行させた5月12日、6月23日の走行練習では、全く話にならない記録しか出なかった。

キャブレターで燃費が悪かったのは、スペースの制約から、エアクリーナーを純正品から小型の物に変更したことに起因して、空燃比が大幅に過濃になっていたためだった。

このためキャブレターのセッティングを最初からやり直さなければならなくなったのだが、時期的に、セッティングが煮詰まるまで、NP号Uの燃料供給系統の選定を保留し続けるわけにはいかない。そこで、折からの財政難という事情も考慮して、見切り発車的にNP号Uはキャブレターでいくことに決める。

NP号Uはキャブレターでいくことに決めたものの、NP号1台で燃料供給系統を交換しながら、データを取るのでは効率が悪過ぎる。

そこで、7月16日の走行練習では、NP号のカウルを、NP号Uに纏わせて走らせた。事前に動力計でセッティングを絞込んでおいたこともあって、ようやくまともな燃費を記録するようになった。

一方のNP号は、トラブル続きの上に、電子燃料噴射とキャブレターを付け替えながらの走行が続いたこともあって、調整が遅れていた。ようやく実力を発揮するようになったのは8月29日。

同じ八戸港ポートアイランドでも、この年からコースが変わったため、単純に前年度までの記録と比較できなかったが、ポテンシャルは前年度を上回ったものと判断された。

同じ日、未塗装ながら、NP号Uの新開発カウルもデビュー。

いよいよ全国大会に備えて、最後の詰めの段階に突入と思いきや、ポートアイランドが荷役作業のため使えなくなって、9月に予定していた3回の走行練習は中止。

このままでは、夢の1000km/L達成が危うくなってしまう・・・。

9月1日は、ポートアイランドで走れなくなったため、校内で雨中走行試験を行うことにした。ところが、天気予報に反して雨が上がってしまったので、ホースで散水する中を走らせた。

その結果はボロボロ。スクリーンの撥水性の悪さと曇り,それに前輪が巻き上げる水飛沫がドライバーの顔面にかかることも加わって、雨の日にはとても完走できないことがはっきりした。

それで翌週は雨対策に専念。急遽製作した前輪用泥除けなどを装備して臨んだ9月8日の校内走行試験では、その効果が表れて合格点。

ただし、雨の準備はしたとは言え、年に1回の大会なので、晴天を祈る気持ちに変わりはない。

「そうだ! 照る照る坊主を早く作らないと」

9月中旬、蟹のステッカーが届く。

この年は4月以来、トラブルが連鎖的に発生し、9月に入ってからも、ピックアップのケーブルを切断するなど、全く収まる気配がなかった。例によって顧問は、「EG号を前年度で引退させてから、『蟹なし』で活動してきたからだ」と原因を決めつけ、在学中蟹製作担当(本業は溶接)だったOBのNさんに『蟹』の製作を依頼したのだった。

顧問にも今更ながら困ったものだが、これでトラブルが収まってくれればとの期待も滲む。

9月29日の校内走行試験では、『蟹』を貼りつけたNP号は順調だったものの、『蟹なし』のNP号Uはエンジン不調に陥った。エンジンを整備しなおして再度走行させた10月2日には、ゴールデンウィーク以来幾度も破損させてきた後輪クラッチ機構が全壊。ただし、それまで不明だった破損原因が、判明したのは幸いだった。原因は、動力計での実験の際に使う部品を、実車に組みつけていたためだった。

結局、復旧作業は、大会に出発する前日である4日の夕方までもつれ込む有様。これほどのドタバタ劇は、EG号をデビューさせた1998年度以来。

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大会前日の10月5日、八戸駅から新幹線で出発。現役部員13名に、地元企業に勤めるSさんとNさんも同行。

最後の追い込みとなる9月の一ヶ月間、ポートアイランドで走行できなかったために、セッティングが煮詰められなかったのは痛かった。しかし、それよりも整備力が4月以来全く改善されなかったことに不安が募るばかり。

いよいよ大会初日。素晴らしい好天に恵まれる。

翌日の予報も快晴とのことで、夢の1000km/Lにトライする環境は整った。

そう楽観していられたのも束の間。

信頼性は高かったはずのNP号のエンジンが吹け上がらなくなる。そのうち、始動もできなくなって、前年度のトラブルの再来かと緊張が走る。

トラブルに見舞われたNP号を置いたまま、NP号Uは車検に出発。
車検は無事合格。
燃料噴射時間と潤滑用電動ポンプのPWM駆動dutyを増やして、何とか始動できるようになったNP号も、遅れて車検に臨んで合格。
整備し直す余裕もなくフリー走行2周のスタート。しかし、走行後の自己計測では2台とも761km/Lと、予想以上の低レベル。

午後の公式練習に備えて、かなりきつくなっていた駆動チェーンのテンションを緩める。次いで、9月中の走行練習が全て中止となったため、慣らし運転する機会を失ったまま装着されていた新品タイヤのうち、前輪のそれを前年度使用したタイヤに交換。

そして迎えた公式練習。

スタート前待機エリアでの暖気中に、またしてもNP号のエンジンが始動できなくなる。

原因はフロント回路のメインスイッチの接触不良。翌日の決勝の前に発覚したことは幸運だった。しかし、そうは言っても現場はパニック。幾度かスイッチのom/offを繰り返すうちに、接触不良の症状は出なくなった。後は走行中、それが現れないことを祈るのみ。

まずNP号Uが発進。
続いてNP号も発進。
そして7周後、2台とも無事ゴール。

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記録はNP号Uが1226.698km/L、NP号が1028.217km/L。公式練習とは言え、長年の夢だった1000km/Lを超えた。

NP号Uは、走行練習ではその真価を発揮することがなかったが、ポテンシャルは1200km/L程度と見込んでいただけに、100%の結果と言えた。しかし、NP号には1100km/L前後の記録を期待していただけに、納得のいく結果ではなかった。

NP号不振の主原因はエンジンにあるものと判断し、公式練習終了後、エンジン担当だった2人のOB氏が見守る中、慎重にエンジンの分解・整備を行う。

整備の成功を祈るばかり。

そして翌日。

事前の予報どおり快晴が広がる。

夢の1000km/L突破に向けて、快調に整備作業が進む。
そうした中、『Art Force』の看板を掲げるOB氏。

我が部の悪しき?伝統のひとつが、全国大会時に役に立たないものをトラックに忍び込ませること。この年も、それを阻止すべく監視の目を光らせる顧問の裏をかいて全国大会会場に持ち込まれた怪しげな品々は数知れない。そして、それらを肴に昔話に花を咲かせるのがOB氏というのが例年の構図。

中でもこの看板は、エコラン参戦当初から我が部の奮闘を見守ってきてくれた宝物。夢を達成できるかもしれないこの年に、やはりこの看板は欠かせない。

スタート前チェックを済ませると、スタート前待機エリアに移動。

入念に暖気運転をしていたところ、NP号のエンジンが突然吹け上がらなくなる。電子制御スロットルの摩擦が大きくなってしまい、ステッピングモータで駆動できなくなってしまったことはわかった。しかし、分解してグリースを塗っている余裕はなく、各部のねじを緩めて、少しでも摩擦を小さくするように努めたが、果たしてどうなることやら・・・。

大会後の調査で、原因は、それまでの練習走行等で受けた熱害のため、ロータリスロットルバルブのOリングがへたってしまったことにあることが判明した。しかし、当時現場でそこまでの事情は突き止められなかった。

不安を抱えながら、2台揃ってスタート位置に進む。

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15年間追い求めてきた夢の実現に向けて、まずNP号がスタート。

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NP号Uもそれに続く。

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NP号は順調に周回を続けているように見えたが、スタート前待機エリアで発生したスロットルのトラブルが4回も発生し、無駄に燃料を消費し続けた。また、その都度総合電子制御回路の電源を入れ直さなければならず、電源を落とすとリセットされるフロント回路のLCDに表示される経過時間はあてにならなくなった。

このため、制限時間内に完走することを優先して、エンジンの自動停止速度をほとんど下げることができず、かなり速いペースで周回を重ねるざるを得なかった。

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一方のNP号Uも、LCDの表示トラブルに見舞われていた。このため、総合電子制御回路の再起動を余儀なくされ、こちらも経過時間がわからないままの走行となった。

ドライバーは、直前にスタートしたNP号についていけば、制限時間はクリアできると判断したのだが、そのNP号も経過時間不明のまま走行しているとは思いもよらない。

このため、NP号Uの周回ペースも下がらなかった。

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トラブルに見舞われながらもNP号は制限時間内にゴール。

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続いて、NP号Uもゴール。

全国大会でトラブルに見舞われながらも、何故だか完走してしまう伝統は生きていた。

これで15年間で延べ20台の出走となったが、リタイアは1台だけ。制限時間内完走率95%は我が部最大の誇りである。

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手元集計で、NP号は988km/L、NP号Uは1133km/L。大会初日の公式練習よりは記録は下がったものの、エコラン初参戦時以来の夢だった1000km/Lは突破した。

恒例の記念写真には、この日の到来を待ち望んでいたOBの皆さんにも加わっていただいた。この年、応援に駆けつけて下さったOBの皆さんは過去最高の15名。現役部員13名を上回っていた。毎年のことながら、OBの皆さんの御支援には頭が下がるばかり。

特に、右端のSさんは初代JT号の設計者で、この15年間ほぼ毎年来て下っている。さぞかし感慨は深かったのだろう。

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そして、決勝の結果発表。

前年度までの結果から類推して、順位が一桁に入っていればと思っていたところ、何とNP号UはグループVで6位入賞。NP号も8位。

前日よりも燃費記録が大幅に下がって、夢の1000km/L突破を素直に喜べないでいた部員たちも、入賞の報を聞くと歓喜の声を上げた。

久しぶりに出席した表彰式で、盾と副賞を受け取る部長のY君。

実は、エンジン担当でもあるY君は、電子制御燃料噴射システムを開発し、この3月に卒業したOBのKさんから、1000km/L突破を厳命されていた。このため、NP号が1000km/Lを超えられなかった場合は、大会会場に置き去りにされることになっていた。

しかし、NP号Uが予想外に入賞してしまったため、盾と副賞を運ぶという名目で、彼も無事八戸に帰還することができたのだった。

OBの皆さんを交えた恒例のミーティングでは、多くの祝福の声をいただきました。また、新たなる目標を見つけて前進して下さいとの励ましもいただきました。しかし、「1000km/L」に代わるような、挑戦しがいのある目標が簡単に見出せるのでしょうか・・・。

数日後、顧問が新たな目標を決めたと言うので聞いてみると、

「エコラン界で、『八戸高専と言えば蟹』と言われる存在になりたい」

絶句するしかありませんでした。

こうして15年越しの夢への挑戦は幕を閉じました。実働部員数が2,3名まで落ち込んで、ちょっとした改良すらもままならなくなり、エコラン出場断念も時間の問題と思われた時期もありました。それだけに、夢を達成できた感慨は、とても言葉では言い表せるものではありませんでした。

しかし、喜びばかりに浸っては入られません。冷静に考えると、この年の課題であった整備力はほとんど改善されておらず、マシンそのもののポテンシャルに助けられての1000km/L突破でした。設計スタッフも枯渇しつつあります。次なる目標はまだ定まっていませんが、部員の技術力を磨き直すことなしに、次のステップへの跳躍はありえません。

この15年間、多くの方々から惜しみないご支援をいただいてきました。特に、初出場時から長年物心両面で支えて下さった武尾文雄先生なしに、1000km/L突破はありえなかったでしょう。ありがとうございました。